パソコン大変記 ワープロ編@「専用機の絶滅」

 

 

 1980年代の後半に、文書作成用にパーソナルワープロを導入した。東芝の「ルポ」である。それ以来、公私にわたってこのワープロ専用機は大活躍してくれた。

 当時の文章作成機としては、このパーソナルワープロと、業務用の大型ワープロ、それとパソコンのワープロソフトとの三つがあったように思う。

 当時のパソコンはNECのPC9800シリーズが全盛で、ワープロソフトは「一太郎」が定番だった。

 パソコンとパーソナルワープロを比較した場合、パソコンはまだウィンドウズの「ウ」の字もなく、操作はすべてコマンド入力によるキー操作。そのキーも、スペースキーと変換キー、改行キーと決定キーがそれぞれ兼用(これは今でもそうだが)のため、文書作成のためだけにキー配列されたパーソナルワープロのよりも、当然のことながら操作性で劣っていた。

 また、プリンターも、パソコンのものはワイヤードットプリンターが主流で、これはインクリボンを細かいワイヤーで打って紙に文字を定着させるもので、パーソナルワープロの熱転写式の文字にくらべると色が薄く、あまりきれいなものではなかった。

 そして、何よりも当時のパソコンは今以上に色々な知識がないと操作が難しいシロモノで、にもかかわらずわかりやすいマニュアルなど皆無というマニアックな道具だった。その上、起動・終了も遅い上に(これも今でもそうか)不安定で、文書作成の途中でバグやフリーズによって作成中の文書がパーになる、という場面もめずらしくなかった。

 それやこれやで、オール・イン・ワンで、スイッチを入れて3秒後に作業のできるパーソナルワープロの方が圧倒的に便利だったため、巷間ではこれがかなり普及していた。

 だが、このパーソナルワープロ優勢にかげりが生じ始めた。

 ウィンドウズ95の登場によって、パソコンの操作性が飛躍的に向上したのである。また、パソコンはインターネットにつながる、という大きな付加価値ができた。

 文書作成、それだけに関しては依然としてワープロ専用機の方が便利だったのだが、その他にも色々なことができるというので、パソコンがグングンと普及の度合いを強めていった。

 一方、パーソナルワープロを作っているメーカーは、対抗上、どんどく機能を強化していく。カラー液晶画面。スキャナー機能。OCR機能。果てはインターネット接続ができるものまで登場する始末だった。そしてそれに比例して、価格もパソコン並みに跳ね上がっていった。

 パーソナルワープロは基本的に文書作成機なのだから、求められているのはタイプライターのようなシンプルな操作と低価格だというのに、現実にはその逆方向にいってしまったのである。

 そのため、パーソナルワープロはどんどん衰退し、メーカーが次々に生産を終了。多くのユーザーは好もうと好まざるにかかわらず、パソコンに乗り換えざるを得なくなったのである。

 

 そして、私もそんな一人だった。

 

 ワープロ編 @  A  

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