パニック発作に襲われたこと

 別項でも書いたけれども、今から10年以上前、沖縄旅行に行く前日に体調を崩した。実はこの時の体調の崩し方というのがちょっと尋常ではなかったのである。

 ちょうどその頃は「困難校」と呼ばれている大変な学校に勤めていたため、夏休みシーズンのような落ち着いた時期になると、その反動でか、どうしても酒を飲む量や機会が増えた。

 特に、沖縄旅行の前々日には、当時発行していた同人誌「びいるじゃあなる」の記事のため、その当時日本で発売されていた全種類のビール(けっこうな量だった)を買い集め、同人仲間とそれらをすべて飲んで採点する、という無茶なことをやったのである。

 当然のように翌日は二日酔いだった。その前からも深酒が続いていたので、肝臓もだいぶくたびれていたのだろう。おかげでひどい状態となってしまった。

 食欲は殆どないので、朝にレトルトのおかゆをすすっただけで、後はひたすら水分をとるのみであった。

 だが、調子は悪かったが、当時はまだ30代前半で体力的には自信があったため、一日おとなしくしていれば、翌日からの旅行は大丈夫だろうと高をくくっていた。

 

 さて、このような二日酔いになることを見越して、その日は休暇をとっていたので、一日中家でごろごろすることにした。

 何もしないでいると気持ち悪さをより感じるので、何かをやって気を紛らわそうとした。

 こういう時に手ごろなのがテレビ・ゲームだ。

 ゲームボーイ用のソフトで「ロボコップ」のシューティングゲームがある。これをアダプターを使ってスーパーファミコンに挿入し、テレビ画面で操作できるようにセット。時間はいくらでもあるので、なかなか先へ進まなかったこのソフトを、今日こそは最後まで終わらせるぞ、とゲーム三昧に興じたのである。

 この「ロボコップ」は画面の点滅が比較的激しい。小さなゲームボーイでやっている分にはそんなに気にならなかったが、テレビの大きな画面で見るといささか目が疲れる気がした。けれども、それでも気にせずに終日ゲームに取り組んだ。

 夕方近くになって、ついにエンディングまでたどり着くことができた。いったい何時間やっていたのだろう? とにかくひたすらに撃ちまくるタイプのゲームなので、達成感はあったものの、疲労感も激しかった。朝のおかゆ以降、水分以外は一切とっていなかったので、夕食はちゃんと取ろうと思い、買い物に行き、材料を揃えた。夕食のメニューは好物のあんかけ焼きソバだ。

 その後妻が仕事を終えて帰宅し、入浴もすませ、夕食の準備を整えた。

 なんだかまだ食欲はなかったが、食べれば少しは体調も戻るだろうと、妻と二人で食事をとり始めた。

 

 食べていたら、突然、吐き気を催した。疲れていた胃がいきなりの焼きソバでびっくりしたのかもしれない。

 あわててトイレに駆け込み、食べたばかりのものを吐き出してしまった。

 吐いているうちに、これはなんかへんだぞ、と感じはじめていた。

 なんだか意識が薄くなっていく感じがするのである

 食卓に戻ったものの、意識のおかしさが続いていた。

「           」

 自分の意識がどこかにいってしまいそうな気がするのである。明らかに異常であった。

「どうしたの?」と妻が訝るが、「わからない」と答える他ない。何がなんだか本当にわからないのだ。

 再びの吐き気。トイレに駆け込む。自分が自分でなくなってしまうような感覚。そのことに対する恐怖・恐怖・恐怖。

 叫びだしたいほどの不安と恐怖におそわれるのだが、声が満足に出ない。

 とにかくこのままだと自分を失ってしまう、たいへんだ、たいへんだ、という恐ろしさからじっと座っていることができず、あわてて表へ飛び出した。

 外の空気を吸いながら何度も何度も深呼吸を繰り返し、マンションの前の道を行ったり来たりした。

 そんな無駄な抵抗を繰り返した後、再び家に戻り、「意識が遠のいてどうにかなってしまいそうだ」と妻に告げた。

 妻にしてもどうしてよいのかわからずにオロオロするばかりであった。

「救急車を呼ぼうか?」と妻が言うが、「いや、いい」と断る。

 たとえ救急車が来ても、何をどう説明していいのかわからない。「気が狂いそうだから何とかしてください」と言われて、いったいどこの病院へ連れて行けるというのか。それに病院に行ったら確実に即入院だ。翌日からの旅行は不可能になる。お金はすべて払い込んであるし、沖縄旅行はもう何年も前から妻が楽しみにしていた旅行で、妻に対して申し訳ない気持ちも強かった。

 依然として異常な感覚は続いていたものの、ピークはどうにか越えていると感じ始めたこともあって、結局、救急車は呼ばなかった。

 発作のような状態は多少は弱まっていたが、恐怖だけは依然として続いていた。だからとにかく布団にもぐりこみじっと横になっているしかなかった。

 

 後にして思えば、医学用語で言うところの「パニック発作」を起こしていたのである。

 「パニック発作」とは、以下の症状のうち四つ以上が突然起こり、10分以内にそれがピークに達するという。

(1)動悸、心悸亢進または心拍数の増加

(2)冷汗をかく

(3)からだの震え

(4)息切れ感または息苦しさ

(5)窒息しそうな感覚

(6)胸痛または胸部不快感

(7)吐き気または腹部の不快感

(8)めまい、ふらつく感じ、気が遠くなる感じ

(9)現実感がない、離人症状(自分が自分でない感じ)

10)気が変になるのではないかという恐怖

11)死ぬことに対する恐怖

12)感覚のマヒ、うずき感

13)皮膚が冷たい、または熱いという感じ

 自分の場合、このうち六つくらいが一斉に起こった気がする。

 連日の深酒で体が弱っていたことや、終日のゲーム三昧もマイナスに作用したのであろう。

 結局、夜が明けても気分はまだおかしかったが、旅行は強行、ホテルにつくなり病院を紹介してもらって、バカンスどころかまるで転地療養の旅となってしまった。

 

 この後も、何度かこの発作が起きかかったことがある。

 沖縄滞在中に、もう大分調子が良くなったからと、うっかりビールを飲みはじめた時。

 東京へ戻ってからも、ロボコップのゲームボーイソフトをやっていた時。

 健康ランドのジェットバスに一人で横になっていた時等々。

 

 いずれの場合も、「あっこれはヤバイ」と思い、必死に「落ち着け、落ち着け」「大丈夫だ、大丈夫だ」と自分に言い聞かせ、なんとか重い症状にまでは至らずにすんだ。

 そうして、だんだんとこの発作は出なくなっていった。

 

 そして十数年が経過した――。

 

 だがすっかり油断しきっていた我が身に、今年の夏、再びそれは突然襲い掛かってきたのである。人生最大のピンチを伴って。(次項に続く)

 

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