パニック・イン・ハイウェイ
今年の夏、子供の友人家族とともにキャンプにいくことになった。
キャンプはテントや寝袋や食材等荷物が多いため、どうしても移動は車に頼らざるを得なくなる。
そのため、レンタカーを借りることにしたのだが、ここでひとつ問題があった。
現在精神科に通院中であり、薬は抗鬱剤・抗不安剤・睡眠導入剤を服用しているのだが、睡眠導入剤は当然のこととしても、他の二種の薬のいずれの注意事項にも「眠気を催したり注意力・集中力・反射運動能力等が低下することがありますので、車の運転や危険のともなう機械の操作は控えてください」と書いてあるのだ。
そこで、色々考えた末、運転の前は薬の服用はやめることにしたのである(今思えばバカなことをしたものである)。
さて、キャンプへの行きは何も問題なく、運転も快調にこなして目的地に到着することができた。そして、その後楽しく二泊三日のキャンプ生活を過ごすことができ、無事に最終日の朝を迎えた。
最終日の朝、ちょっと夕べの酒がのこっているような感触があった。本当は医者にアルコールは制限するよう言われているのだが、旅行でキャンプという解放感もあって、ついつい前日は酒を飲みすぎたようである。だが、朝食は普通に食べられたし、運転には支障はないように思われた。もちろん、食後の薬の服用はしなかった。
まっすぐ帰るにはまだ時間的に余裕があったので、途中の温泉施設によって、キャンプ生活での汚れを完全に落とし、快適な気分で出発した。後は東京に戻るだけだ。
高速に入り、友人家族が先行して100km以上の早さで飛ばしていくので、それについていくような形で車を走らせた。
なんとなく「おかしいな」と思い始めたのは窓の風景を見ていた時だった。高速で、友人家族の車の後部を追いながら走っているので、フロントガラス越しに見る風景は単調そのものである。
その単調さにふっと意識の空白を感じたのである。
「あれ、なんか変だな」と思ったものの、すぐに気を取り直して「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせた。
その時に何とはなしに感じた「不安」の兆候が心から消えなかった。
そして、トンネルに入った時に、ついにそれは本格的に訪れ始めた。トンネルの単調なライトの並びは点滅しているように目に入る。それが目に入るうちにあきらかに意識が遠のく感触があったのである。
「まさか、まさか」
そう、十数年前にパニック発作を起こしたときと同じ感触だった。そういえば、深酒・入浴・光の点滅と、あの時と条件も似通っている。
「もし、あの時と同じなら……」
不安はその瞬間から巨大な恐怖に姿を変えた。依然として車は100kmを越えるスピードで高速を疾走しているのである。
先ほどまで軽快に鳴っていたカーステレオからの音楽が殆ど耳に入らなくなっている。いや、耳には入っているのだが、曲として聞き取ることができなくなっているのだ。すこしでも気分が変わるかと左右に視線を向けても駄目。ペットボトルの水を一口飲んでみても駄目。
意識は確実に薄くなり、ふっと遠のきそうになる。
そして次の瞬間、自分が今「運転している」という状況を自覚して恐怖に凍りつくのである。
特にトンネルに入るとその症状は一気に加速した。最悪なことにその道路はちょくちょくトンネルがあるのだ。
鬱状態がひどかった頃、「この世を去りたい」を思ったことはしばしばあったが、こんな死に方は真っ平ごめんである。車には妻子も同乗しているのだ。このスピードで意識を失ってハンドル操作ができなくなったら、そこに後続車も突っ込んできて親子三人ミンチ肉である。
そういう妄想はますます恐怖を募らせた。しかし、ここは高速の上。途中停車はできない。
最悪は路肩に停めるしかないが、路肩の幅は狭い。そんなところに停めても、トンネルも多く視界もあまりよくないその道路では、今度は後続車がそこにぶつかってしまうのではないか、というプレッシャーがかかり、恐怖から開放されるとも思えない。
歌でも歌って気分を変えられたら、などとちらと考えもしたものの、声すらまともに出てくれない。
絶体絶命。
「……気分が悪いから、先に行ってくれるようにメールしてくれ」
やっとの思いでそれだけを助手席に座る妻に話すことができた。
「どうしたの、おなかの具合でも悪いの?」と妻が言うが、夫の表情のただならぬ様子から何かを察して、あわてて先行する友人家族の車に携帯メールを打つ。
メールの返事が届くのを待って、一番左車線に入って、思い切って減速した。友人家族の車は先に行ってしまった。これで少しだけ気が楽になる。
後続車両が訝しげに次々と車線変更して追い抜いていった。思い切って減速したといっても高速なので、時速80kmを割り込むわけには行かない。依然として生命の危機は去ったわけではない。
唯一の望みは3km先にあるサービスエリアだ。だが、そこまでの道のりのなんと長いことか。
「こんなことで妻子を殺すわけにはいかない。」「オレもこんなことで死ぬわけにはいかない。」
遠のきしばしば失いかける意識におののきながらオレは祈った。
若い頃は哲学的に無神論を標榜していた。「神はいない」などとうそぶいて、キリスト教の人や学会の人と論戦したことも数知れない。
今も平均的な日本人同様に無宗教と言ってもいいだろう。
だが、人間本当の生命の危機に直面した時には、やはり人智を超えたものに祈るのである。敬虔な気持ちで切実に祈るのである。
サービスエリアまであと1kmちょっととなったところで、長いトンネルに入った。ゴール直前での最悪のピンチであった。
トンネル内のオレンジの灯りが意識の希薄化を促進させる。オレは必死に「あと少しだ、あと少しだ」と心で祈る。
やっとのことでトンネルを抜けて、サービスエリアの看板を見たときには、神に感謝した。
なんとか生き延びることができたのである。
サービスエリアに入ると、抗不安剤を飲んだ。こんな状態なら薬を飲んだ方がまだましだ。
小一時間も休んだであろうか。まだあまり自信はなかったのだが、出発することにした。幸か不幸か道路は渋滞が始まっていたのだ。ノロノロ運転でしか進めなかったのが、この時はありがたかった。
無事に家に帰りついた時には、決して大げさでなく「生還」という気分だった。
後で調べてわかったことだが、抗不安薬には依存性があって、コンスタントに服用していたものを急にやめるのは危険なのだという。
医師にも(今回の件は伏せて)車を運転しなければならない場合のことを尋ねたところ、薬はあくまで服用し、後は注意をして運転せよ、とのことであった。
思えばバカな素人考えで命を危険にさらしてしまったというわけである。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
小説『ノルウェイの森』の中の一説をふと思い出した。
我々の生命は何かに担保されているわけではない。
いつだって死神は我々のすぐそばにいて、大きな鎌を手に虎視眈々と命を刈り取るスキを狙っているのである。