君のおかげだよ、たぶん

 生まれてはじめて精神科の門を叩いた――。というと大げさである。骨を痛めりゃ整形外科。歯が痛ければ歯科。悪寒が続けば内科。そして、心がうまくコントロールできなくなれば精神科。それだけのことだ。

 実はもうずっと前から行こうと思う医院は決めていた。以前に区の医師会が主催する区民健康講座に出席したのだけれども、その時の講師の先生になんとなく好感を持ち、なおかつ自宅からも比較的近いので、いよいよの時に診てもらうならここ、とずっと思っていたのだ。

 

 さて、当日予約した時間に行き、まず最近の色々な日常生活の悩みを書いた紙を先生に手渡した。こういうことをきちんと言葉で順序立てて説明することが、どうにも困難に思えたのだ。

 先生はそのメモに目を留めつつ、いくつかの質問をした。問診というやつであろう。

 そして、「これを読んでも……」と言った。オレは当然その次に「それだけではわからないから、これから色々検査してみましょう」と続けるのかと思っていたら、

「それだけで『鬱病』であることは間違いないですね」と。ガクッ。やはりそうだったか。ついに医師から正式にお墨付きをもらったわけである。

 その後、いくつかの日常生活でのアドバイスをいただいた。恐れていた「アルコールが好ましくない」という話も出た。

 即禁酒、というのは不可能なので、薬と健康状態とのバランスをうまく考えながら、とりあえず節制はしていくことになると思う。

 鬱病の治療は長期に渡るので、医師と色々と相談しながら何とかやっていくほかあるまい。

 

 結局、その日は抗鬱剤・抗不安剤・睡眠導入剤を処方してもらって病院を後にした。

 これで遂に精神病患者となった訳である。色々と複雑な思いはある。何かと余計なレッテルを貼られたり、色眼鏡で見られたりすることが多くなることは避けられないであろう。世の中まだまだ偏見がいっぱいだ。否、人の世のある限り偏見がなくなろうはずもない。

 カミさんの父など「『学校現場で病気になる者』=(イコール)『怠け者』」という持論をもっており、「そういう連中を何で早くクビにしないのか」という怒りの声を何度聞かされたかわからない。今回皮肉にもその候補者の一人に、娘の婿が加わったわけだ。

 

 病院へ行くことにずっと二の足を踏んでいた理由は前回書いたが、実はそれ以外に大きな理由がもう一つあった。

 それは、今の世の中で生きていく上で、絶望することの方が本当だ、という気がしていたということである(こういう考えが既に病的なのだが)。

 詳細は長くなるので省くが、解決不能な矛盾が夥しく横たわる中で、自らの絶対正義を確信して、対立するものを容赦なく徹底的に傷つけて打ちのめそうとする人々のなんと多いことか……。そういった存在に触れるたびに、自分の中の厭世観は強まり、「むしろ負けるのが本当なのではないか?」「このまま絶望したまま世を去る方が本当なのではないのか」という思いが強まっていったのである。

 そう考えると、病院に行って、絶望を緩和してもらうことなど、無駄な逃避としか思えなかったのである。

 

 にもかかわらず、「病院に行くことも必要だ」と思うようになったのには、ある「きっかけ」があった。

 

 3年前に三年生の担任を持った(本業は高校の教員です)。

 実はもうその時すでに心の調子は結構悪かったのであるが、そういう状態にもかかわらず、自分のクラスで心の病を持ったと思われる生徒を受け持つことになったのである。

 彼女は運動部に所属して熱心に活動するかたわら、体育祭の実行委員長をも務め、勉強面でも意欲的に学習して上位の成績をキープ、努力家で負けず嫌いであり、自分をとことん追い詰めてまで目標を達成しようとするような、典型的な頑張り屋の生徒であった。

 けれども、それがひょんなことがきっかけでそれまでにあまり経験をしたことがなかった挫折をし、それで打撃を受けたのか、学校に来られなくなり、来ても授業に出られない状態にまでなってしまったのである。それが二年生の時。

 そのため、授業の欠席時数はどんどん増え、殆どぎりぎりの出席日数でやっとこ三年生に進級したような状態であった。

 そんな深刻な状態での彼女を、オレはクラスの一員として迎えたのである。

 心の壊れかかった人間が、心の壊れた人間の面倒なんかみられるんだろか? と当初はかなり不安だったのは事実。

 

 彼女に対して、どの教員も異口同音に「なんとか学校に来られるように頑張らせよう」「頑張ったら誉めてやってやる気を出させよう」といった観点で意見を述べるのだが、それらを聞いているうちに、だんだんとそういった発想にオレは違和感を覚えるようになっていった。それらの言葉がなんだか彼女にとって本当に必要な言葉ではないように思えたからである。

 それは自分の身に置き換えた時によりはっきりした。世の中には努力で乗り越えられることと乗り越えられないことがあるのであって、病人に「頑張らせる」というのは、そもそも発想として誤りなのではないだろうか?

 

 そして思った。もしかしたら、今のぶっ壊れかけた自分が彼女を受け持つことになったのは、運命の巡り会わせではないか、と。オレはオレにしか言えないことを彼女に伝えなければならないのではないか、と。

 オレは彼女との最初の個人面談で、一か八かの賭けに出た。

 他の多くの先生方が言うことと全く逆の考えを彼女にぶつけたのだ。もしかしたら、それはオレ自身が誰かに言ってほしかった言葉であったのかもしれない。

 彼女がその言葉をどう受け止めたのか、直接はわからない。

 その後も彼女は、元気に来ていたと思ったら急にパタッと休み続け、また来るようになり、また休み、また……という危なっかしい状態での高校生活を送った。

 だが、それでも前年度よりは確実に欠席日数は減った。そして、やがては卒業後の進学も決め、最終的には出席日数も足りて無事卒業出来ることとなった。ホッ。

 

 卒業式の日、クラスの生徒が全員で寄せ書きをつくってオレに手渡してくれた。

 その中で彼女は書いてくれていた。

「先生のあの時の言葉に助けられた」と。

 

 オレが彼女に言った言葉。

「色々あって本当につらい時は無理して学校に来なくてもいいんだぞ。学校や授業なんかより、君の健康の方が大事なんだ。君の命よりも大切なものなんかこの世にあるものか。だからしんどいと思ったら遠慮なく休め。苦しい時に休むのは当たり前のことなんだ。もしそれによって何か問題が起きたらオレがなんとかする。」

 ――実は今だから正直に言うが、「何とかする」算段などまったくなかった。でも、その時にはそう言うことがすごく必要だと思えたのである。

 傷ついた状態でなお勝とうと前に出て行くことは過酷であり、傷が悪化するばかりである。それよりは、いっそ負けるべき時は負けを認めてしまい、傷を癒すことに専念した方がよい。再出発のチャンスは何度でもある。そう、やり直すことは何度だって可能なのだ。

 結果的に彼女はオレの言葉の真意を受け止めてくれたのだと思う。

 

 オレ自身が心の医療がどういうものかを身をもって知っていれば、再び彼女のような生徒にめぐり合った時、もっとより実感を伴った適切なアドバイスを与えるなり、力になることなりができるはずだ。オレが絶望にばかり目を向けていては、誰かを明るい光の方に導くことはできない。

 オレが「いよいよ心の調子が悪くなったら医者に行こう」と素直に考えられるようになったのは、たぶんこのことがきっかけとなっているのだと思う。

 

 教え子達は、基本的にこのホームページの存在は知らない。だから彼女がこの文章を目にすることはないだろう。

 それでもこの場所にオレは書きとどめておきたいのである。

「オレは君の力になるつもりだったのだけれども、実はオレの方こそ君のおかげでなかなか踏み出せなかった一歩をやっと踏み出すことが出来たんだよ。ありがとう。」と。

 

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