ふたたび特別便がやってきた

 以前に「ねんきん特別便」が来たことをここで書いたが、あれからちょうど一年経ったついこの間、ふたたび「ねんきん特別便」が我が家にやって来た。

 前回の通知では、現在の教職に就く前の会社員時代の記録がすっぽりと抜け落ちていたため、一応会社名と勤めていた期間だけ書いて返事は出しておいたのだが、何らかの形で結果がわかったのであろうか?

 前回のものはライト・ブルー色の封筒だったのだが、何故だか今回のものはサーモン・ピンク色の封筒である。

 見れば「お申し出いただいた加入記録に関する調査・結果をお知らせします」と書いてある。おおっ、やっぱり。

 正直言って期待はまるでない。年金手帳は紛失してしまったし、当然記号番号もわからない。おまけに加入期間も短くて金額もたいしたことはないであろうから、本気で探してもらえるとはとても思えなかったからである。

 「さて、見つからなかったどんな言い訳が書いてあることやら……」と乱暴に封を開けた。

 

 一読して驚いた。何と「被保険者記録照会回答票」と書かれたその紙には、我が20年以上前の勤務先名及び資格取得年月日・資格喪失年月日が正確に記載されているではないか! 殆んど無理だと思われた過去の記録をきちんと見つけ出してくれたのである。

「お申出に基づいて調査した結果、全ての記録について確認ができました」「調査に時間を要し、回答が遅くなりましたことについてお詫び申し上げます」とある。

 しばし呆然とする。そして、前回「記号番号もわからぬたかだか一年程度の記録が真剣に調査されるとはつゆ思えない」などと書いたことを反省。

 

 昨今は公務員への風当たりは強い。

 確かに一部に首をひねらざるを得ないような制度や部署があり、一部にいい加減な職員がいることも事実なのだろう。

 だが、それはどんな社会にでも一定程度の確立で存在する問題であり、それをもって「公共サービス」そのものを全否定するのはどうなのかなと思う。

 何でも民営化すればうまくいく、という神話はこの国に根強い。

 自由競争と市場原理によって悪いものは淘汰され、優良なものだけが残る、という考え方である。

 ただ、このシステムは同時に弱いもの、経済効率の悪いものは、それだけの理由で切り捨てていくという側面を持っている。

 国鉄はJRとなって、営利の上がらない地方の赤字路線を積極的に廃止した。だが、このことによって、交通の便が悪い過疎地は更に過疎化が進むこととなった。

 NTTとなった電電公社は利用者が減ったという理由で公衆電話を片端から撤去した。街中で電話をかけたかったら、高い料金を払って携帯電話を使用せよ、ということらしい。携帯料金が払えない者は外で電話をするな、ということなのだ。

 しかし、日本中の家庭にはいまだ数千円単位のテレフォンカードが眠っているのである。公衆電話がなければこれらは使えないのだから(窓口で通話料として充当することは可能だが、基本料の部分には使えないし、ちゃっかり1枚ごとに手数料もとられる)、代金だけせしめたNTTはぼろ儲けである。まさに濡れ手で粟だ。

 いずれも経済原則、もっと言っちゃえば「儲ける」という観点からすれば正しいのだろう。

 しかし、仕事というのは「儲ける」ことがすべてなのだろうか。「儲からないこと」はそれだけでやる価値のないことなのだろうか。

 

 一つの分野を極めた一流の職業人の言葉に本やテレビで接することがあるが、彼らに共通しているは「仕事」そのものの中身に使命感と誇りを持っているということである。

 特に客商売系の人間は、例外なく「お客様に喜んでもらうこと」を仕事の目的として掲げている点で共通している。

 彼らにとって「儲け」とは目的ではなく結果なのだ。

 自分が誰かの役に立つこと。他者によって自分が必要とされること。考えてみれば、それは我々が生きる意味の根幹に関わってくることなのかもしれない。誰からも必要とされなくなって生きることはつらいことである。

 

 医者が患者を診るのは病気の人を助けるためであり、料理人が調理するのは食べる人を至福の時間をもたらすためであり、音楽家が曲を書くのは聴く人の心を楽しませるためであるはずだ。誰かのために役立つこと。それが「仕事」なのではないだろうか。

 これは公務員であっても同じことである。

 消防士が危険を顧みず火を消し、警察官が命がけで犯人と渡り合い、自衛官が死と隣り合わせの危険地帯に赴くのは、彼らが仕事に対して使命感を持っているからだ。

 馬の鼻先にニンジンをぶら下げるように、何事にも金銭をちらつかせなければ人は働かない、という考えは人間全般に対する侮辱ではないかとさえ思える。

 

 いくら不祥事があったとはいえ、全職員が不真面目に勤務している訳でもなかろう。それなのにマス・メディアから連日のようにぼろくそに叩かれながら働く社会保険庁の職員は、さぞや肩身の狭い思いをしていることであろう。

 身分を明かしただけで、蔑まれたり批判されたりしたこともあったかもしれない。

 どんなことを言われても、ただ俯いて耐えることしかできなかったこともあったかもしれない。

 残業しながら深夜に思わず感極まって拳で机を叩いたこともあったかもしれない。

 酒場の隅の席で酒に酔い、悔しさと辛さからつい落涙したこともあったかもしれない。

 

 それでも彼らはコツコツとやり遂げるべき自分の仕事に取り組んでくれたのである。

 たかだか1年未満の年金記録であっても真面目に誠実に調べあげてくれたのである。

 国民のために役立つこと、という公務員の仕事への誇りを失わないでいてくれたのである。

 

 最初に届いたライト・ブルーの封筒は、職員の「記録紛失しちゃいました……」という青ざめた表情を連想させたが、今度のサーモン・ピンクの封筒は、「あったあった、ありましたよ!」という頬を紅潮させて報告する職員の明るい表情を想起させるではないか!

 

 ……とここまで書いてから、ふと思った。

 もし封筒の中身が「調査した結果、残念ながら記録は見つからず……」というような文面の内容だったなら、今まで書いてきた上記の文章はどのような内容になっていたんだろうなぁ。むむむ。

 

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