ギョーザ事件勃発す!
と言っても、例の中国産農薬混入冷凍餃子の話ではない。
ついでに我が家の話でもない。
友人K君の家で起きた事件の話である。
つい先日、九州に住んでいる友人のK君がたまたま東京に出張に来たので、夜に時間をつくって居酒屋で会った。
再会を祝しての乾杯をした後、しばらく雑談をしていたのだが、ふと、K君が暗い表情をして「我が家で餃子事件が起きてね……」などと切り出した。
話はこうだ。
とある日、K君の奥さんが夕食にわざわざ手作りで餃子を作ってくれたのだと言う。
それをK君は口にしたのだが、美味しくなかったのだという。
「僕って正直だから……」と弁解する。
味の感想を求められても、無言だったのだという。
およそ結婚して嫁さんの作るものがまずかった場合にどういう態度に出るかというのはけっこう難しい問題であろう。夫婦にとっての一種の試金石とも言えよう。
なまじお世辞など言えば、以降もずっと味の改善されない料理が出続けることになるし、あからさまに批判すれば先方のやる気をなくさせたり紛争の火種となったりする。難しいところである。
ただし、「無言」というのは結果的には「まずい」と言っているのと同義であり、なまじ口に出さないだけに、相手のとりようによっては、より以上に悪い意味に受け取られることすらあるだろう。
K君の場合、顔と態度にモロに出るので、結果的に最悪の対応となってしまった訳である。
奥さんは激怒。翌日から弁当を一切作ってくれなくなったという。
「結婚して1年半でもう離婚かもしれないよ……」などと力なくつぶやく。K君は一昨年の夏に結婚したばかりなのだ。
すっかり気落ちして弱気なことを口走るK君に向かって、オレは言った。
「何を言っているんだ。結婚は修業だ。」
「ええ!?」
この言い回しはK君がかつてオレに向かって使ったものだ。
あれは大阪旅行のことである。腰を痛めて歩くのが困難になったオレがK君に「君は何だってそんなに早歩きをするんだ。せっかくの旅なんだからもう少しのんびり行こうじゃないか。」と腰の痛みを訴えながら提案したところ、
「何言ってるんだ。旅は修業だ。」と平然と言い放ち、ゆっくり歩くことを言下に却下したのである。
その時はコンチクショウという気分であったのだが、あれから歳月は流れ、今度は俺が言い返す番がやって来たと言うわけである。
「結婚は修業だ。」
K君は目を白黒させた。
「え、修業なのか。」
「そうだ。幾多の困難を乗り越えるしかないのだ。」
「結婚は安息じゃないのか。」
「違う。」
「結婚は安らぎじゃないのか。」
「違う。だから休日出勤なんてとんでもないぞ。」
「?」
オレはK君の休日出勤についてもたしなめた。真面目なK君はしばしば休日出勤しては休みに家を空けることが多いのだ。本人は仕事熱心でやってるつもりなのかもしれないが、新婚家庭としてはあんまりである。
「修業から逃げては駄目なのだ!」
「そうなのか。」
そして、奥さんに何か気の利いたお土産を買って帰って、機嫌を直してもらうことを提案すると、K君は、「それならば羽田で……」などと言い出す。
「羽田なんかじゃダメだ!」
K君は既に仕事は終えていたので、翌日は好きな現代美術を鑑賞するため、美術館めぐりの計画を立てていたのである。よって、土産物を買うのは羽田でいいと考えていたのだ。しかし、羽田空港の土産では奥さんの気持ちをなだめることができないのは火を見るよりも明らかである。
「美術館めぐりはキャンセルして、銀座かどこかに出るんだ」
「うーん、銀座まで出なければダメなのか。」
「そこで雑誌とかで有名なスイーツを買うといいよ。」
「銀座まで出るんなら、デパートでバッグとかを見てもいいかな……。」
「それはいい! ただし買うならブランドものだ。ヴィトンかプラダにしろ」と念を押す。
ヴィトンもプラダも結構な値段なのでK君は躊躇する。
「ヴィトンやプラダというのはそんなにいいものなのかい?」
「知らん。俺だってそんな高価なもの持ってないよ。でも女性が喜ぶことは間違いない。」
それは確かである。
以上のような会話を飲みながら交わしてその日は別れたのであるが、さて、その後どうなったか気になった。
そこで二日ほど経ってからメールを送ったところ、すぐに返事が帰って来た。K君はなんと、本当になけなしの金をはたいて奥さんのためにプラダのバッグを購入して帰ったのだという。
「かなりな値段だったが結婚は修業だと観念したよ」とメールにあった。おかげで奥さんは大喜びし、餃子事件は無事に解決したという。よかったよかった。
ところで、この話を別のある友人にしたところ、
「なんだか日本政府の対応のようですね」とのこと。
うーん、そうなのかな? しかし無事に円満解決したんだからいいんじゃないかなぁ、と思うのだが。