腰痛エレジー その2
その後、腰痛は何度かひどく悪くなったり多少ましになったりということを繰り返した。
中でも忘れられないのは、友人と三人で大阪・京都に旅行した時のことである。何と、旅先でひどい痛みとなってしまったのである。
その旅行を企画したのはK君と言い、大学時代からの付き合いのある友人で、とにかくまめな性格だったのか、宿の手配はもちろんのこと、どこで何を見るかまで細かく決めて旅行のだんどりを整えてくれた。整えてくれたのはいいのだが、彼はまだ当時若くて元気だったので、けっこうきつめの予定を組んできたのである。
それぞれ住む場所が異なるので、三人は大阪駅で落ち合った。
大阪駅から出ると「まずは松尾芭蕉・井原西鶴・近松門左衛門の墓を見に行く」とK君は力強く宣言した。そして、すぐに地図を片手にずんずんと進み始めたのである。けっこうな速さで進んでいくので後の二人はついていくので精一杯であった。何しろ、三泊四日分の重い荷物を持ったままなのだ。
かなり進んでからである。突然K君が立ち止まり、地図をしばらく見つめていたが、
「あれ、これ違ってるよ。」といまいましそうに言うと、今度は今まで来た方角と逆方向にずんずんと歩き始めたのである。どうやら地図の見方を間違えて、道を誤ったらしい。しかし、「間違ってごめん」の一言もなしに彼の力強い歩みは続いた。
だんだんと腰に痛みを感じていた。だが、とても待ってくれと言っても待ってくれそうもない雰囲気なので、ただ付いていくだけであった。K君はどうしても遅れ気味になるオレの方をたまに振り返っては、「ちっ」と舌打ちをした。
そうして、三つの墓を無事制覇し、宿にチェックインしたのであるが、部屋に入って荷物を置くと腰がひどい痛みになっていた。
そのホテルには大浴場があるので、そこでひと風呂浴びてから夕食に出かけよう、ということになった。
浴場にはサウナがあったのでそこへ三人で入る。「血行を良くすれば……」と思って入ったこのサウナが間違えであった。急激な腰の痛みは暖めてはいけないのである。だが当時はそのことを理解していなかったので、ついサウナに入ったものの、出るときに激痛が襲ってきた。浴場の床に四つんばいに倒れた。痛くて一歩も動けない。目の前にシャワーの栓があり、なんとか片手でそれを捻り、蛇口から水を出すと四つんばいのまま腰を冷やした。これでどうにか少しだけ歩けるようになった。
夜の街に出ると、とりあえず薬局で痛み止めの薬を買って飲んだ。
夕食にと、雑誌にも出ている有名なおでんやに入った。
「さえずり」と呼ばれるくじらの舌が名物らしいので注文した。楊枝のような小さな串に小指の頭ほどの肉が三片ほどついている。味は確かに悪くはない。だが値段を聞くと「一本1,300円」だと言う。その値段を聞いた途端に腰に強烈な痛みがきた。値段のあまりの高さのショックと腰の痛みとで、オレは座っていたカウンターから転げ落ちた。
ホテルに戻ってから、翌日もK君にあの爆走を続けられるのではたまったものではないので、
「君は何だってそんなに早く歩くんだ。せっかくの旅なんだから、もう少しのんびり行こうじゃないか。」と訴えたところ、彼は、
「何言ってるんだ。旅は修業だ。」と平然とうそぶいた。
翌日は京都に行った。最初に行った太秦映画村で杖を買った。観光土産の「水戸黄門」の杖である。杖があるだけでも歩くのに有り難かった。
傍から見ると冗談をやっているようにしか見えないかもしれないが、水戸黄門の杖をつきつつ京都の町を歩いたのである。
途中でK君が「ちょっとその杖を貸してくれよ」と言い出した。そこでしぶしぶ渡すと、K君はその杖をついて歩き、杖をわざとU字抗を塞ぐ板に空いた穴に突っ込ませ、大げさによろめいて見せた。どうも笑いをとるつもりだったらしい。おかげで杖の先端に傷がついてしまった。こっちにしてみれば、どうしてそのような振る舞いをするのか理解に苦しんだ。
ちなみにK君の名誉のために書くが、彼は元来義理堅く誠実な人柄の人物である。この旅行から数年後、手術をしなければならないほど腰痛が悪化して入院していた時、彼はたまたま出張で東京に来ていたのだが、わざわざ忙しい仕事の合間をぬって病院まで見舞いに来てくれたほどなのだから。
ただ、その時に彼が言った言葉が忘れられない。
「そうか、そんなにも腰が悪かったのか……」と。
大阪・京都旅行の時のオレの苦しみを、入院という事態に至ってようやく理解した、という訳である。逆に言えば、それまで全然腰痛など取るに足らないことと考えていたらしいのだ。
どうも健常な人間、特に元気のある時期というのは、そうでない人間に無神経で配慮がない、ということを身をもって知ったような気がする。