桜の花の咲く頃に
今年は暖冬で暖かい日が続いていたのだが、桜の花が満開になる頃、急に気温が低くなった。
所謂「花冷え」というヤツなのだろう。しかも単に寒くなるだけでなく、何故か例年この頃は風が強くなったり雨が降ったりする日々が多いので、せっかく咲いた桜も見る見る散っていってしまう。
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
西行の詠んだ有名な和歌だ。もちろん下の句の「きさらぎの望月のころ」は釈迦入滅の日であり、出家者であった西行はこの日の死を願ったということなのだが、そのような信仰心がなくとも、上の句に共感を覚える日本人は多いように思われる。
一斉に咲いてはあっという間に散っていく桜の花には、何かしら日本人の感性に訴えるものがあるのだろうか。
先日、ちょっとショックな出来事があった。
現在住んでいるマンションの南西側に家電の量販店があることは以前に書いたが、その店が閉店することとなってしまったのである。がーん。現在はその店には足場が組まれており、もしかしたら解体され更地にされてしまうかもしれない。そうなったらその跡地にマンション建設、ということになる可能性は極めて高い。
最近のマンションは、狭い敷地内に目一杯に建てて、しかも階数も高くして戸数を確保しようとする傾向がある。
ということは、もしそうなったら、2階の我が家の南西方向からの太陽は完全に遮断されてしまうということである。もういっぺん、がーん。
江東区ではここ数年マンションの建設ラッシュで、それに伴っての日照権問題も多発している。しかし土建屋大国・日本では、いくら日光を遮られる側の住民が反対しようとも、業者は情け容赦なくマンションを建ててしまうのである。
この間、友人と三人で酒を飲んでいたのだが、話がたまたま住居の話になり、一人の友人が、いかに集合住宅というものが駄目であるかということを主張し始めた。
「特に地震とかがあった時が怖い。持ち家であれば、建物が倒壊しても土地の権利があるから、そこにテントでも建てて住むことができるが、マンションは何の権利も残らない。」
現在マンションに住んでいる身としては、
「分譲でも土地の所有権はあるよ。」
と口を差し挟むのだが、
「いや違う。全住民で割ればそんなものはネコの額みたいなもので、ないのと同じだ。」
と、とりつくしまもない。
「しかも老朽化すれば資産価値はどんどん下がっていって、やがてゼロになる。」
「でも住んでるうちは資産価値を考えても仕方ないんじゃないかなぁ。」
「いや違う。ローンで払った金がどぶに捨てたのと同じになるんだ。」
「でも別にそのまま住み続けているのだったら……」
「いや違う。老朽化してきたら立て替えることになるんだ。費用をどうするんだよ。」
「でも住人が多いから、そんな簡単に立て替えるという話にまとまらないんじゃないかな……」
「いや違う。必ず立て替える話になる。」
といった調子で、何を言っても「いや違う」と言下に否定され、分譲マンションを選ぶ人間というのがいかにオロカであるかということを、彼は断定的な口調で解説し続けた。
それを聞いているうちに、オレはだんだんと沈痛な気持ちになり、
「そうかそうか、オレはそんなにも惨めな末路を辿るのか……」
と暗澹たる思いで、しまいには酒の味もわからなくなってしまった。
もともとマンションがいいと思って現在の住居に決めたわけではない。金がないから「マンション」にしか住めなかったのだ。
親が資産を持っているわけでもなく(自慢じゃないが一昨年他界した我が父の遺産など一円もない。おかげで相続問題は一切発生しなかった)、自分ひとりが一生働いて返していけるだけの金額から逆算したら、中古マンションを買うのが精一杯だったのである。
土地付き一戸建て住宅がいいことなどわかっている。わかってはいたが、集合住宅とでは価格にしてプラス一千万円以上は違うのだ。そんな大金、どこにもない。
そして、当然のことながら今更買い換えるような金銭的余力も一切ないので、日光をじわじわと奪われようとも、友人の指摘するように悲惨な老後が待っていようとも、もはやそこに住み続けるしかないのである。
踏んだり蹴ったりの我が家であるが、この季節にベランダから公園の桜を見ることができる。
何故桜はこんなにも我々の心を惹きつけるのか。
おそらくは咲いているのがほんの一瞬であるから、人間の方もその短い刹那にすべての魅力を感じ取ろうと、特別な思いで観るからなのかもしれない。
時折、風に乗って花びらがベランダにも舞い込む。
桜の花を見ていると思う。
世は無常であり、人はいつか死ぬのだ、と。
そしてそれならば、西行ならずともせめてこんな穏やかで心安らぐ季節に死にたいものだ、と。
金や住居といった仮初めのものによって悩み苦しみ、つらいばかりの人生がこの先もずっと続くのであれば、それよりはいっそ艶やかに咲いては散っていく桜の「花の下」で、静かな永劫の眠りにつけたらどんなにいいだろうか、と。