陽の当たらない場所

 今回もまた暗い話です。ただし、今回は物理的な暗さの話。

 江東区に引っ越して8年が過ぎたが、年々冬が来るたびごとに道を歩く時の寒さが厳しくなってきている。と言っても気候そのものが変わってきているわけではない。日陰ばかりで陽の当たる場所が少なくなってきているためなのだ。

 どういうことかというと、江東区はここ数年マンションの建設ラッシュで、あちらこちらににょきにょきとマンションが林立し、これらが太陽を遮ってしまうため、結果的にあちこちの平地に日が当たらなくなってしまったのである。

 もともと8年前の時点でも、江東区民の住居のうち80パーセントは集合住宅である、というデータがあったほどで、そこにさらにマンションがガンガン建ったのである。よっていたるところ日陰だらけ。一日中殆ど日が当たらない公園等も珍しくないほどになってしまった。

 

 8年前に引越しする時、新たな住居探しで絶対に譲れなかったのが「南向き」という条件だった。これは実際に南向きの集合住宅に住んでいる人からのアドバイスで、「冬場の光熱費がまるで違う」とのことであった。

 実際に自分の年収でローンを返済していく資金的な条件から考えると、ただでさえ中古の集合住宅しか買えない上に、それに「ある程度の広さ」と「南向き」という条件が加わると、どうしても他の点で妥協せざるを得なかった。結局、「駅から近いこと」と「ある程度の高さの階が良い」という点は諦めて購入したのが現在のマンションである。希望通り南向きにベランダはあるものの、駅から遠く高さも2階というものだ。

 それでも、住み始めた当初は南側からの暖かな日光の恩恵を存分に堪能することができ、「やっぱり南向きにして良かった」と夫婦で手を取り合って喜んだものだ。しかしその一方で、林立し続けるマンション群に、「もし南側に高い建物でもできたら」という不安がよぎることも少なくなかった。

 

 やがてその予感は的中した。マンションの南西方向に公園を挟んで駐車場があったのだが、そこに大型電気店が建ってしまったのである。電気店ゆえに高さは3階で、それだけだったら陽を遮ることもなかったのだが、まいったことに建物の上にどでかい看板が建ってしまったのである。これによって太陽光の一部が切り取られることとなってしまった。

 しかし、ものは考えようである。もし建ったのが高層マンションであったなら、南西方向からの日光は完璧に遮断されてしまったであろう。また、住宅の場合、当然人が住むから、近距離の我が家からは双方が見えてしまうというプライバシーの問題も発生しただろう。だから電気店でまだ良かったのだ。そう考えることにした。

 そして「まあ、これで南西方向からはこれ以上陽が隠れることはないだろう」とずっと思っていた。

 が、つい先日のことである。妻が血相を変えて「たいへんたいへん!」と叫びながら、パソコンたたいている俺のところにやってきた。

「陽が当たらなくなっている!」

 ディスプレイに熱中していて気がつかなかったが、以前だったらまだ西日が射しているはずの午後3時過ぎだったのに、手元がもう暗い。陽が当たっていないのだ。妻が指さす南西方向を見ると、電気店のさらに南西に最近高いマンションが建って、それが陽を遮ってしまっているのである。な、なんということだ!

 太陽だけは誰にでも公平にふりそそぐものだと思っていたのに……。

 しかし、いくら嘆いてみてももうどうすることもできない。

 

 こうなると心配なのは南側だ。南側にはやはり公園を挟んで工場がある。○○工業()という、金属を加工する会社だ。この工場は平屋なので、もっかのところ全く日光を遮る障害となっていない。しかしこの工場、けっこう老朽化が進んでいるのだ。もちろん会社が業績を上げている限り、改装や新築という可能性もないではない。しかし逆に経営不振にでも陥れば、「身売り」という最悪の可能性も否定はできない。

 こうなれば、なんとか○○工業()には頑張ってもらう他ない。業績を伸ばしてもらう他ない。出来れば全面的に支援したい。が、小売業ではないから、俺が何かを購入して売り上げに貢献する、ということは出来ない。心の中でエールを送るのみである。

 

 ある日、自転車で道を走っていたら、スピードも落とさず急に左折したトラックがあって、大変危険な目に遭った。瞬間的に「なんてぇ運転をしやがる!」と激怒したものの、次の瞬間にはその怒りはかき消えた。

 そのトラックの車体には「○○工業()」の名前が入っていたのだ。

「ああ、○○工業()の車でしたか。だったら別にいいのです」と急に穏やかな気持ちになり、去っていくトラックの後姿に向かって「頑張って仕事してください! でも事故にだけは気をつけてくださいよ!」と、まるで頼もしいものを見送るように声援を送ったのである。

 

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