かかわりたくない……が。

 日曜日に娘(小学校3年生)の運動会があった。

 娘から手製の招待状までもらったのだが、本音を言うとあんまり気が進まなかった。

 休日になのに朝早くから起きてでかけていかなければならないのがツライ、とか、自分の子供が出る時以外の競技にはあんまり関心が持てない、といったことも理由としてあるが、実は気が進まない大きな理由は別なところにある。

 以前の学芸会に行った時もそうだったのだけれども、最近、学校行事やら人が多いところやらに足を運ぶと、かなり高い確率で非常識な人間に遭遇することが多いので、それで気持ちがぐったり疲れてしまうのがイヤなのだ。

 特に運動会はここ数年、親達のビデオ撮影がエスカレートしており、そのすさまじい場所取り争いを想像すると、それだけでゲンナリしてしまう。

 だが、子供にしてみれば、我が家だけ父親が来ない、というのも寂しかろう。娘を喜ばせるのも父親の仕事である。そう割り切って、重い腰を上げて運動会に足を運んだ。

 そしてその結果、もちろんそこには期待を裏切らない「非常識」がてぐすね引いて待ち受けていた……。

 

 工事用のブルーシートってありますよね。あの花見なんかで広い場所を取るときに使っているやつ。

 驚いたことにあれを広げ、中央にはアウトドア用のテーブル、その周りにはやはりアウトドア用のディレクターズチェアをずらりと10脚も並べている人達がいたのだ。

 最初、これはきっと学校関係の人達の、何かの待機場所なのだろう、と想像したのだが、そうではなかった。我々と同じ一般の保護者なのだった。

 言っておくが校庭はかなり狭い。そこに殆ど全生徒の家族が来ているのだ。だから皆、間に隙間が取れないほどに密集して1〜2畳敷き程度の小さなシートをやっと広げているというのに、だ。

 「……きてるねぇ」と内心思うが、自分達のシートを敷く場所も何とか確保できたことだし、あまり気にしないことにした。いちいち気にしていたら身が持たねぇのだ。

 

 だが、「非常識」は今度は別角度からジャブの連打を放つようにして攻め込んできた。

 我々のシートを敷いたすぐ近くの地面が他の部分より盛り上がっていたのだが、そこにひっきりなしに子供がやってきてはそこを「お山」に見立てて砂遊びを始めるのだ。中にはこっちまで砂を飛ばして激しく遊ぶ子もいる。

 その都度「こっちに砂がかかるから辞めてね」と注意をせねばならないのだが、それでも、そう言われて素直に謝って辞める子達が遊んでいるうちはまだよかった。

 昼の休憩時間。

 娘もやってきて、親子で昼飯を食べ始めたのだが、俺達のすぐそばで砂遊びを始めた男の子が二人いた。見れば体操服を着ているので、この学校の生徒なのだろう。どうやら二年生のようだ。

 この子達が、俺たちがめしを食っているシートに激しく砂をかけてくるのだ。もちろん悪意はないのだが、シートのすぐ横に砂山を作るもんだから、そこから片っ端から砂がこぼれ落ちてくるという訳である。

 めしを食っている時にこれはたまらないから、その子達の肩をたたいて振り向かせ、「君達、そこで遊ぶとこっちに砂がかかるから気をつけなさい」と言うと、曖昧な返事しかしない。

 そして、依然として全く同じ遊びを始めるので、またしてもシートに砂が降り注ぐ。

 「君らがそこで遊ぶと砂が入ってくるだから辞めなさい。」

と、今度は少し言葉を強めて注意した。が、しかし、辞めないのである。この頃から「この子達はちょっとヘンだぞ」と思い始める。

 その子達は砂山を高くするために少し離れたところからも砂をかき集めてくるのだが、当然のことながら、そのことによって砂ぼこりが発生する。やはりその近くにいた一家の父親らしき人物が、「ご飯を食べているのだから砂遊びは辞めなさい」と注意するが、返事もせずに背を向けて砂山の方に砂を運ぶ。そして、またしても同じ場所に来て砂を集める。

 「おい、食事中なんだから辞めなさいと言っているんだ」

 またしても背を向けて砂を運ぶ。

 「辞めなさいと言っているだろ!」離れて行くその子に向けてその父親らしき人は言ったのだが、黙殺。

 そして砂山作りが再開され、またしても我がシートに砂がこぼれ落ちてくることとなった。いい加減俺もブチ切れそうになる。

 「おいっ! 砂がこっちにこぼれるから辞めろって言ってるんだ!」

 周囲は皆、和気あいあと昼飯をとっている家族ばかりだし、何しろ相手は小学生である。だからそれなりに抑えて言おうとは思ったが、なにしろむかっ腹が立っていたから、それなりに強い語気になったので、さすがにその子供たちも一瞬手を止めた。

 「……いい加減にしないとオジサンは怒るよ。」今度は少し落ち着いた声で言った。

 これで無視されたら、今度こそ本気で怒鳴りつけるしかないな、と思っていると、

 「怒られない方に行ってやろう」

 「うん」

 そんなことを小声で言い交わすと、その子達は場所を移動した。

 と言っても、わずかに1メートルほど横にずれただけなのだ。嗚呼。

 その後は砂が侵入してくることはなくなったが、もう気持ち的には砂を噛むような思いであった。

 あの子供たちが普段からどんな育てられ方をしているか、容易に想像がついた。大人から強く注意されたこともないし、大人から厳しく言われたらそれに従わなければならない、ということも学んでいないのであろう。

 これ以上何を言ってもこっちが虚しくなるだけなのだ。うっかり怒鳴りつけて向こうの親が出てきてしまう、というのも面倒な話だ。どのみち非常識な子供の親なのだからまともであるはずがない。

 結局、めしを食い終えると場所を移動することにした。非常識とはかかわりあわないのが一番なのだ。ムナシイムナシイ。

 

 「叱らない子育ての本」が売れ、何でも子供の判断にまかせて何をしても注意しない「ふりーせる教育」なるものが流行ったりする昨今である。注意されても言うことをきかない子供がいても不思議ではない。

 親や保護者にしてみれば子供のために良かれと思ってやっているのだろう。しかし、その結果どういう風に成長していくのか、残念ながら俺はひどい実例をたくさん見てきた。

 俺の本業は高校の教員なのだが、かつては東京都内でも五本の指に入るであろう困難校に勤務していたことがある。

 そこで勤めたことによって、実体験としてわかったことがたくさんあった。

 「子供もだんだん大人になれば自然にわかるようになる」ということがウソであること。

 「話せばわかる」というのはあらかじめ対話の訓練を積んだ者同士でなければ成立しないということ。

 「親にも教師にも大人にも従わないでいい」と教わって育った子供は、善悪の基準が自分にしかないため、どんなにひどいことでも他人にだったら平然と出来るようになる、ということ。

 カツアゲ、暴力、いじめ、リンチ……いつでもターゲットとなり傷つけられ損なわれるのは、真面目で善良な生徒達の方であった。

 

 あの子供達もあのままで成長していけば、きっとロクでもない人間になってしまう可能性は少なくないであろう。

 できればそうなってしまった後にはかかわりたくないが、小学二年生と言えば8歳。後8年で高校生である! その時はまだ俺は現役で高校の学校現場で働いている。ということは、どこかの学校で再会することもないとは言い切れないのである。うーむ。

 はっきり言って、その頃には体力がついているであろうあの子供達を、もうたぶんヨレヨレとなっている俺が注意して言うことを聞かせられるはずもない。それどころか、逆に「あの運動会の時はよくも」と、袋叩きに合うかもしれないのである。何だかやってられんよなぁ。

 

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