クサイ話

 昼間アルバイトに出ているカミさんが、勤務先のトイレについて文句を言っていた。

 曰く、便所の中に注意書きがあり、「汚さないように」とか「ゴミを流さないように」と書いてあるのは理解できるが、「汚物は流さずに各自で処分するように」という注意書きには納得できない、とのこと。

意味がわからずにキョトンとしているオレに説明してくれたことによると、この「汚物」というのは、どうも「使用済みの生理用品」のことを指しているらしい(女性用トイレだし)。確かにそんなものを流された日にはトイレがつまってしまう。だからそのような注意書きがなされたのであろう。

 しかし彼女は「大便だって汚物ではないか」と主張する。「『汚物』を流していけないのなら、トイレで用を足せない」と。

 まあ、確かにこの注意書きの記述はいささか説明不足と言えるだろう。

 しかし逆に、本来の意味で「流すべき汚物」であるはずの大便の方が、ちゃんと流されていないことがある。

 そしてそういう場面には出来るだけ遭遇したくない、と思いつつそうもいかないのが人生である。

 (ということで、今回かなり汚い話である。よって、食事前の人はこの先を読むのは遠慮した方がいいと思います)

 

 個室のドアを開けたら「汚物」を流し忘れていた、なんてのは序の口。すかさずレバーを踏めばいいだけのことだから。

 すごいのは便器の内側にあるべきものが、そこから大幅にはみ出している場合。

 個室に入る前からやけにクサイな、と思って中に入ったら、大便が和式便所の便器の外側にしっかりととぐろを巻いていた、ということが現実に何度かあった。的からはずれるにもほどがある。これはクサイだけでなく対処のしようがない。逃げるしかない、というヤツである。それでもこれらはまだ良識(?)の範囲内なのかもしれない。

 そう思うのも、もっとすごいヤツに今年二回も遭遇してしまったからである。

 

 一つ目はこちらでも書いた石垣島の旅行でのこと。

 ホテルに到着して、ロビーのある階のトイレに入ったのだけれども、入った途端にやけにクサイ。

 原因はすぐにわかった。小便器だ。

 通常男性用小便器というのは、水がすぐに流れるので、あんまり強烈にクサイということはない。

 にもかかわらず、この小便器がクサイのには訳があった。なんと、小便器の下の方に大便がひねり出されていたのである。

 今思い出しても慄然とする光景であった。南国のリゾートホテルのイメージが一気に瓦解した瞬間であった。

 なんで小便器に大便が? 推測するに、そのトイレには個室が少ない。よって、暴発寸前の人が駆け込んできた時に、たまたま個室が全部塞がっていた、というのはありえる話だ。そして我慢しきれずについ……ということなのだろう。

 事情はわからないでもない。しかし、しかしだよ。大人なんだから(たぶん)他に方法はなかったのか!? と言いたい。「汚物」撤去のために悲壮な顔つきで駆けつけた従業員がつくづく哀れでならない。

 

 もう一つ目。

 先日、仕事の関係で平日に休みがとれたので、職場の同僚と鬼怒川温泉に旅行に行ってきた。

 到着してすぐに風呂に入り、のんびりくつろいでいた我々一行であるが、平日にしてはけっこう混んでいることに気がついた。

 見れば、殆どが老人ばかりである。たぶん仕事を定年退職した人ばかりなのであろう。それ故、平日でも時間がとれるのであろう。それがどうやら団体で来ているらしかった。

 さて、そんなことは別に気にせずに、我々は我々で風呂に入った後、食事を取り、ビールなどをしこたま飲んですっかりいい気分になった。そして、再び湯につかることにして、大浴場へと向かったのである。

 その時である。またしてもクサかったのである(またしても。)。しかも、大浴場に向かう廊下が、である。

 嗚呼、これもできれば思い出したくない。

 なんと、廊下にポツリ、ポツリと大便が点在していたのである。そしてよく見るとそれは同一線上に点在しており、どうも歩きながら便を落としていったらしいのである。

 しかし、どういう状況でこういうことが起こりうるのであろうか? 下痢をして液状の便が漏れてしまった、というのならばまだ話はわかる。だが、そこに点在していたのは、柔らかめではあるが明らかに固形上のものだったのである。下着はつけていなかったのか? というか、衣服を着用していたのであろうか? 謎は深まるばかりである。しかし、いずれにしても団体で来た老人客の誰かであると推測された。

 問題の行為に及んだのは、入浴に行く途中であったのか、あるいは入浴帰りであったのか、あるいはもしや入浴中から……! そこまで想像した時、我々一行の酔いは一気にふっとんだ。

 おそらくは本人は自覚もないままに垂れ流してしまったのであろう。周りも皆老人ばかりだから、すぐに気がつくということもなかったのであろう。年をとるということはこういうことなのだ。

 「まったく、こんなことしやがって!!」と、その廊下で一人の老人だけがカンカンになって怒っていた。が、大半の老人たちは複雑な表情のままそこを通り過ぎていった。我々もまたそうであった。

 おそらくは皆、頭の中でこう考えていたからに違いない。

 「明日はわが身……かもしれない」と。

 

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