我が身一つは
数年前に「教員免許更新講習」なるものが出来た。
自動車の免許よろしく、この講習を受けないと教員免許を失効してしまうという制度だ。つまり即、職を失うことになる。
まあ、文句は色々あるのだが、とりあえず講習を受けないと失業してしまうので、今年それを受けることとなった。
母校の大学で受けたのだが、講習費用は5日間で3万円。安くないよなぁ。
80分の講義が1日4回。その後、40分の認定試験がある。
認定試験はその日の講義の内容から出題されるのだが、これに合格しないと免許失効となってしまうので、受講生は皆必死である。
80分の講義の最中、片時も集中力を切らすことができない。しかもそれが4回も続くのだ。
はっきり言って、これはつらい。相当につらい。大学在学中の現役時代だって、ここまで集中して講義を聞き続けたことはない。
しかも、認定試験は殆どが暗記問題なのだが、この年になって丸暗記のテストというのもキツイもんである。さらにそれが5日間毎日あるのだ。
しかし、失業する訳にはいかないのでただひたすら耐えるしかない。
講義の内容は教育に関することや専門の国語に関すること等で、講義内容は正直言って玉石混淆。
「伊勢物語」に関しての講義が面白かった。
ご存じ在原業平のお話で、一段ずつに独立した話ではあるけれど、最初の方はちゃんとストーリーがつながっているんですね。
まず第一段で「なまめいたる女はらから(若々しくて美しい姉妹)」の姿形に惹かれて初恋をする。
次に第二段で「かたちよりは心なむまさりたりける(顔形より心の優れた女)」の心に惹かれて恋をする。
そして第三段で「懸想しける女(思いを懸けた女)」に出逢う。つまりはこれがすべてを備えた本命の女性という訳。
続く第四段・五段・六段で、その恋の顛末が描かれる。
結論から言うと、この恋は結ばれない。
第四段では、親族の反対によって女と会えなくなった男が、思い出の場所を梅の花盛りの季節に訪れる。前の年の梅の季節にきっと女と訪れた場所なのだろう。
だが、女がもうそこにはいないことはもちろんのこと、不変であるはずの月や花といった自然の情景さえも、すっかり変わってしまったことを知る。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして
免許更新の講義の中で、あらためてこの歌を聴き、ハッとした。
自分が今おかれている状況がまさにこの歌なのだと。
三十数年ぶりに母校の大学で講義を受けているのだが、校舎はとっくに立て替えられており、周辺の建物や店もすっかり様変わりしてしまっている。
久しぶりに大学時代の友人達(卒業後、教員になった人が多いので)にも会ったが、当然のことながら皆過ぎた歳月の分だけ年を取っていた。
いや、もちろん自分だって相当に老け込んで彼らの目に映っているはずなのだが、ここで男が「我が身一つはもとの身にして」と詠んでいるのは、記憶のことだと思う。
男の記憶の中では不変であった美しいものが、現実の世界ではすっかり様変わりして失われてしまっていたからこそ、悲嘆に暮れたのではないだろうか。
自分の中にも大学時代のノスタルジックな記憶はもとのままにそこにある。
だが、かつての母校のある場所に来ると、それらがもはや失われてしまった残骸に過ぎない事をつきつけられるのである。
自分が通った学び舎はもはや存在しない。
希望と野心と燃えていた友たちの姿もいないし、もちろん若く美しかった貴女もいない。
我が身一つはもとの身にして……。