再会の一年

 昨年一年間は懐かしい人や会いたかった人に会う機会が比較的多かった。そこで、ちょっとそれらを振り返ってみようと思う。

 

 まず3月。教え子のI君が結婚式を挙げた。その披露宴に招かれて行ったのである。

 彼は12年前の卒業生。かつては問題児として退学寸前までいったのであるが、今や立派な社会人である。

 当時の同級生も友人として多く招かれていたのだが、会うのはほとんどが卒業式以来である。

 その当時頼りなかった連中が、皆しっかりと一人前になっていた。感慨深い。

 ただ、式に呼んでくれるのはありがたいのだが、スピーチを依頼されるのがツライ。

 あれがあると、終わるまで酒飲んでいても酔えないんだよなぁ。

 

 6月。I君を卒業させたのは二つ前の職場であるが、その学校で同僚であった人で、現在の勤務校でも偶然にもまた同じ職場となった国語科のMさん。

 残念ながら彼女は癌をわずらってしまったため、今年の3月で退職してしまっていた。

 彼女のことを思って、当時の同僚の一人が、卒業生や旧職員に声をかけて集め、6月に退職の会を催してくれたのである。

 ここでも幾人かの卒業生や昔の同僚と久しぶりに会った。

 Mさんは嬉しそうであった。

 結構まだまだ元気そうだったので、まだまだ生きていられるんじゃないかな、となんとなく思う。

 

 8月。やはりその同じ職場で同僚であった、もう定年退職したYさんと、まだまだ若手のSさんに会う。

 Yさんは俺と同じ国語の女性教員で、情熱的な仕事っぷりはあらゆる面で学ぶ点が多く、よき先輩教員であった。

 一方のSさんは俺が生徒指導部にいた頃に新規採用でやってきた青年。ものすごく行動的で仕事をどんどん覚えていく頼もしい存在だった。

 どちらも尊敬に値する人物なので、「いつか会いましょう」と声をかけていて、それがやっと実現したのだ。たぶん5年ぶりくらいの再会。

 御二人ともお酒はガンガンいけるクチなので、人形町のクラフトビールの店で、美味いビールを鯨飲しつつ話が花開いた。

 

 同じ8月。Mさんが他界した。

 なんということであろう。人の命とはかくも儚いものなのか。

 告別式には大勢の弔問客が訪れていたが、当然のことながら知った顔も多い。

 こうして考えてみると、久しぶりの人に会う機会というのはいずれにしても「式」関係なのだな、とつくづく思う。

 

 9月。一つ前の職場の先輩教員であったNさんに会う。

 Nさんは国語科の教員で、職場では色々と仕事の相談に乗ってくださっただけでなく、良く飲みに行ったり、温泉旅行に行ったりと、最も親しく親交のあった方だ。

 定年後も再任用という制度で二年間ほど働いていたのであるが、今年の春についに職場を退職。

 現在は悠々自適、晴耕雨読の日々だというので、ご自宅のある牛久まで遊びに行ったのである。

 牛久シャトーのガーデンで、焼肉をやりながら地ビールを飲む。

 Nさんはもう60過ぎだというのに、肉をガンガン食う。

 Nさんは現役時代、授業の声の大きさでは定評があり、Nさんが向こう側の建物の校舎で授業をやっている声が、吹き抜けのスペースを通して反対側の職員室まで聞こえてきたほどである。

 やっぱり活動的でエネルギッシュな人は、良く食べるのだな、と改めて感心。

 

 10月。大学時代のゼミの先輩で、太宰治賞受賞作家である志賀泉さんに会う。

 志賀さんは仕事を持ちつつ執筆活動を続けているのだが、現在の大きなテーマは「原発」。

 志賀さんは福島県出身。原発の町で青春時代を送った人である。詳しくはこちら

 10月26日に日本文藝家協会主催の文芸トークサロンが催され、そこで志賀さんが話をすることを知ったので、足を運んだのである。

 トークサロンの終了後、志賀さんの方から声をかけてきてくださった。

「年をとっていても、ちゃんと顔がわかるもんなんだなぁ」と笑ってくださっている。お会いするのはたぶん四半世紀ぶり。

 その志賀さんは、若い頃から似ていたけど、年をとったらますます川端康成にそっくりになっていた。

 近くの居酒屋で、久闊を叙するとともに一献傾ける。

 昔と変わらない懐かしく優しい時間が流れていった。

 酒代をおごってくださる。先輩・後輩の関係というのはいつまでも、たぶん一生の関係なのだなぁ、と思う。

 

 11月。近所で買い物をしたその帰り道、たまたま向こうから来た卒業生に会った。

 双方自転車であり、たぶん12年ぶりであるにもかかわらず、すれ違いざまの一瞬でお互いがお互いを確認した。

 わかるもんなんだなぁ。そして更に自分でも驚いたことに「O・I子じゃないか」と、その子のフルネームが口からすらすらと出て来たことである。

 彼女は偶然にも冒頭で書いた結婚式を挙げたI君と同学年。二年の時は一緒のクラスでしかもその時の担任は俺だったのだ。

 最近は固有名詞が出なくなって、生徒の名前もしばしば忘れて顰蹙を買うのであるが、12年前の生徒のことをきちんと覚えていたとは。

 近い記憶より遠い記憶の方が鮮明であるというのはなんとも不思議でかつ皮肉な話である。

 

 12月。大学時代のサークル仲間で、大分で高校の国語教員をやっているK君が奥さんとともに東京へ遊びにやってきたので、時間の都合をつけて会う。

 前回彼が東京出張の時に会って以来だから三年ぶりくらいか。奥さんと話をするのは初めてである。

 その奥さんのリクエストで、両国の麦酒倶楽部ポパイという店で会い、美味い地ビール飲みつつ再会を祝す。

 彼は元気そうで……というより元気過ぎるくらいで、とても俺と同じ年齢とは思えない。

 こちらは朝から薬のカクテル状態だというのに、彼は何一つ薬の世話になどなっていない。血圧も血糖値も尿酸値もぜーんぶ正常。

「最近白髪が増えちゃってねえ」などというが、それも4〜5本程度であって、それを奥さんに抜いてもらっているのだという。バカヤロー、こちとら頭の両サイドすでに真っ白に近いんだぞー! そんなの悩みの範疇じゃないっての。

 K君との付き合いもなんだかんだで30年以上になる。

 奥さんとの夫婦仲も良好そうであった。何よりだ。いつまでもお幸せに、と願うばかりである。

 

 こうして振り返ってみると、どの再会にも酒が、しかも多くの場合ビールが絡んでいることにあらためて気が付く。

 やっぱり久しぶりに会ったら、乾杯でしょ。ねえ。良寛和尚だってこう言っていることだし。

 

 よしあしの なにはの事は さもあらばあれ 共につくさむ 一杯の酒

 さすたけの 君とあひ見て けふは酔ひぬ この世になにか 思ひ残さむ

 明日よりの 後のよすがは いさ知らず 今日のひと日は 酔ひにけらしも

 

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