50代ポンコツ行進曲〈後編〉
昨年度、都心の進学校に異動になった。そして今年度、そこで担任を持った。
予想通り目茶苦茶に忙しい。
ここのところずっとフル回転で働いている。平日は、食事・入浴・便所・睡眠以外の時間は常に働いている状態だ。
正直言って、それだけやっても仕事は遅れ気味なのだ。
休日であっても、部活の引率があったり、遅れ気味の仕事を家でやったりする。
当然のことながら殆どプライベートな時間というものがなくなってしまった。このホームページの更新が極端に減ったのもそのためである。
激務をこなしていくため、アルコールすら制限するようになった。
以前は365日病気の時以外はほぼ毎日飲酒していたのだが、今は休前日と休日の日以外は飲まないことに決めた(「麦酒新報」の管理人が、酒をセーブする日がこようとは!)。
消化器の病気のことを前回書いたが、医師から「食べてすぐ寝る習慣が胃に負担をかけている」と指摘された。
だが、そう言われても帰宅して入浴して食事を終えるともう睡眠時刻なので、いかんともし難い。
そこで、色々と考えた末に、仕事のある日は夕食を摂るのをやめた。
もともと疲れて帰ってくると、もう通常の夕食時刻を過ぎているせいか、食欲もそんなでもないのだ。
だから、酒も飲まないし、食事もしないで、そのまま寝ることにした。
アルコール抜きの空腹で眠れるかどうか心配だったが、身体が疲れ切っているため、布団に入ると自然に眠れた。これは意外な発見だった。
なんか、我ながらすごい生活になっているなぁ。
そんな風に身体はガタピシなのだが、唯一の救いは、ここ1年ばかりの間、大きな「鬱」が来ていないことがある。
職場を変わったのがいいきっかけになったのかもしれない。抗鬱剤の量も医師と相談のうえで減らした。
鬱は前回書いたどの病よりもツライ。
憂鬱感・厭世観・希死念慮・絶望感・無気力に相当に痛めつけられる。「世の中から早く消えてしまいたい」としか思えなくなる。
また、そういった直接的なしんどさに加え、それを誰も理解してくれはしない、という辛さもある。
鬱を病気だと思っていない人は今でも多い。概して病気や怪我のたぐいというのは自分がそうなってみないとわからないものなのだ。
そう言えば、腰痛になって苦しんでいた時も「ただの運動不足だ」と冷ややかに言う人、多かったな。
自分の鬱を本気で理解して心配してくれたのは世界中で主治医ただ一人だけである。
もうひとつ。鬱になると、人が確実に離れていく。これも精神的につらいものがある。
まあ陰気な中年男となんて、誰もかかわりたくないよなぁ。そりゃそうなんだが。
今は「普通」の状態が続いている。「普通」になってみると、鬱というのが明らかに病であることがわかる。
それと同時に、「普通」である、ということがこんなにも有り難いことなのか、としみじみと感動する。
病気と仕事の激務で体がガタガタであっても、それでも鬱が来ないだけでまるっきり別世界である。
話を戻すと、今の勤務先はかつて赴任した学校の中で、最もレベルの高い学校だ。
中学校時代は劣等生で、作文の課題を白紙で出したこともある自分が、このような学校で生徒にものを教えているなんてウソみたいな話である。
とはいえ任期は最長で6年。その次にどんな学校に異動するかわからない。
その上、肉体の老化はすごいスピードで進行している。
鬱も、今は来ていないが、今度いつ襲ってくるかはわからない(「ウツ」と「ヨウツウ」とは一生の付き合いになるんだろうな)。
自分に出来ることは全部やろうと思っている。
長年に渡って仕事で積み上げてきたものを、意欲ある相手にぶつけられる最初で最後の機会かもしれない。
正直言って、身体がガタピシいうのもツライし、自由時間が殆どないのもツライし、夕食を摂らないのもツライ。
でも、今しか出来ないことを今やっておかなかったら、多分それは何よりもツライことになるような気がする。
そんなことを考え、自分を鼓舞しながら馬車馬のように働くべく職場へ向かう、そんな日々である。