爽健美茶
4月から新しい職場に移って、嬉しかったことの一つに自動販売機がある。
今度の勤務先の学校には自動販売機が入っているのである。
そのことによって、いつでも冷たい飲み物が、しかも市価よりもちょっとだけ安い値段で買えるというのはありがたいことである。
若い頃は、自販機と言えば、炭酸飲料及び甘い飲み物以外なかったが、最近では冷たいお茶がずいぶん増えた。まさか冷たいお茶をお金を払って自販機で買うような日が来るとは、昔だったら考えられないことである。最初の「おーいお茶」が成功して以降、ずいぶんと各メーカーから種類も増えた。
勤務先の自販機で売っている冷たいお茶も何種類かある。
それぞれに個性があって、どれもそれなりに旨いとは思うのだが、たいていいつも「爽健美茶」を選ぶ。
爽健美茶は、特別な思い出に結びついているからである。
その人はUさんと言った。
俺が困難校に勤務していた時、最後の一年間に生徒指導部で一緒に働いた人である。年齢は俺より一回り下であるが、どんな仕事にも真面目に取り組む誠実な人であった。
困難校の生徒指導部というのはすさまじく大変である。
朝は早くから謹慎の申し渡しと解除。休み時間と放課後は校内の巡回や校外の巡回。苦情電話がくれば(連日のようにかかって来る)即現場に出動。夜は遅くまで生徒指導を巡る会議。休日でも事情聴取の家庭訪問。
とにかく連日の生徒指導・生徒指導・生徒指導。授業の準備をする時間も満足にとれないほどなのである。
そういう濃密な日々を過ごしたので、Uさんとは一緒に働いたのは一年間だけだったけど、戦友のような連帯感を持っていた。
そのUさんが好きだったのが「爽健美茶」だったのである。
実は理由がある。
Uさんの名前は「健○」というのである。そして奥さんの名前が「○美」さん。
更に、Uさんは生まれた子供に奇しくも「爽」の字を使った名前をつけていたのである。
「家族の名前が全部入っているんですよ」
Uさんは嬉しそうにいつも言っていた。
やがて一年間の過酷な生徒指導部の日々が終わり、新しい人事が決まった。
俺は異動が決まり、Uさんは生徒部をはずれ、新担任に入ることとなった。
その時に、「本当は生活指導のようなことは、僕は得意じゃないんですよね」とUさんはちょっとホッとしたような表情で言った。
優しくて温和な方であったので、「そうだろうな」とは思ったものの、彼の偉大なところは、得意じゃなくても、嫌であっても、決して手を抜いたりごまかしたりしなかったところである。
生徒の服装違反・授業の無断退出・無断外出・校内での土足・煙草・バイク通学・暴力事件、そんなものに関わることが楽しいはずもなく、注意しないですむことなら見て見ぬふりですませたいと思うのが人情であろう。
あまり言いたくはないことなのだが、全体で話し合って決めたルールなのに、生徒に嫌われるのがいやで、理屈をつけてはそういう生徒への注意をやりたがらない教員・やらない教員も少なくないのだ。
でもUさんは違っていた。
あんなにも物静かで温厚な方が、過激な指導に関わらねばならなかった心中はいかばかりであったろうか。
でも彼は決して仕事への手抜きはしなかったのである。
誠実、というのはUさんのような人のことを言うのだろう。
別の学校に異動となった後、残念ながらUさんとは会う機会はなかなかなかった。
ある日、勤務先の職員室に掲示されたUさんの訃報を見つけて愕然としたのは、その2年後のことであった。
最初、「ご家族の誰かが?」と思ったものの、よく見慣れた「健○」の字であった。間違いなくご本人が他界してしまったのだ。
死因は不明。文化祭が終わった後、帰宅して、翌朝にはもうお亡くなりになっていたのだとか。
子供は新たにもう一人生まれていたので、幼い子供二人と愛する奥さんを残しての突然死であった。
通夜の会場には担任途中だったこともあって、たくさんの生徒達がかけつけては目を潤ませていた。
あまりにも若すぎる、そして惜しい死であった。
この仕事をしていると、しばしば気持ちが折れそうになることがある。
現実の学校現場は過酷である。
解決する問題より、解決しない問題の方がはるかにずっと多いからだ。その点、一時間で一つの問題しか起こらず、しかも必ず解決するテレビドラマの世界とは違う。
そんな、弱気になった時はUさんのことを思い出す。
彼は俺と同じ国語の先生だったのだ。
生きているのだから、少なくとも自分は生きているのだから、志半ばで逝ってしまいもう二度と教壇に立つことができないUさんの分までしっかりやらねば、と思うのである。
自販機で買った、よく冷えた爽健美茶はとても美味しい。
でも、俺にとって、ちょっとだけほろ苦い味なのである。