正しさの定規


 以前に通風が悪化した時のことである。

 

 右膝が突然何の前触れもなくじわじわと痛み始め、遂には歩行が困難なほどになってしまったのである。

 医者に行ったところ、痛み止めの薬を渡され「一週間経っても痛みがとれないようならまた来てください」と言われた。

 そして、一週間。痛みはとれないどころか、ますます悪化していった。

 おまけに熱まで出始めてしまった。

 やむなく仕事を休んで医者に再度行くことにした。

 

 行ったのは総合病院である。よって整形外科と内科と両方診てもらうことができたのだが、当然のことながら時間はかかった。

 午後9時の開院と同時に足を運んだのだが、会計が終わったのはなんと午後1時近かった。なんと、4時間近くもそこにいたことになる。

 もちろん診察や検査に時間がかかったのではなく、殆どが待ち時間だ。

 

 さて、この病院内の待合室での待ち時間の間、気が重かったことがある。

 前述したように右膝が痛いのだが、そのために殆んど曲げることができないのである。ちょっとでも曲げると、右膝に激痛が走る。

 そのため、どうしても椅子に座ると右足を前方に投げ出さざるをえない。それは狭い病院内ではいかにも通行の邪魔であった。

 杖は一応手にしているのだが、座って抱えているとそれは目立たない。従って、傍から見ると横柄な態度で足を投げ出して座っている行儀の悪い人間にしか見えないのである。

 まいったなぁ、とは思うものの、実際に痛くて曲がらないのであるからどうしようもならない。

 

 このような事情で、目の前を人が通過する時は気が気でなかった。

 幸いにして、たいていの人は、オレの邪魔な足をよけるか跨ぐかしてくれた。

 多くはよろよろ歩きの人や同じように杖をついた病人ばかりなのだが、逆にそういう人達の方がこちらの事情をわかってくれるようである。

 彼らは一様にちらりと我が右足に目をやり、こちらの顔を見、その後杖を見つけ、なんとなく納得したような顔で通り過ぎていってくれた。

 

 だが一方で、勢いよくぶつかっていった人も二人いた。どちらも足早に歩く中年女性であった。

 ぶつかった時には「痛ッ!」思わず声を漏らしてしまったのだが(実際、本当に痛いんだ!)、どちらも振り向きもせずにスタスタと立ち去っていったから、あるいは故意だったのかもしれない。

 病院内の行儀の悪い人間に制裁をくだした、というところか。だとすれば、なんともやりきれない話である。

 

 これも何年か前、子供がまだ小さかった時の、バス停での出来事である。

 

 その日、俺は娘を連れてバスで出かけたのであるが、その帰路でのこと。

 帰りのバスに乗るためにバス停に行くと、幸いにも我が乗るべきバスは既に到着していた。

 だが不思議なことに、客は行列を作ったまま、誰もまだバスに乗り込もうとしていないのである。

 そのバス停には三系統のバスが運行されており、今並んでいる客はたぶん別系統のバスを待っているのだろうと思われた。そういうことは以前にも度々あったのだ。

 そこで、「お先に」とばかりに前の方の乗車口に進んでいった時である。

 「車椅子の客がいるんだよォ!」

 という怒号が聞こえてきたのである。前の方に並んでいる客の誰かであった。怒気がびりびりと空気を引き裂くような殺気立った声であった。

 娘がビクンと震え、おびえた表情になった。

 見れば、確かにバスの中ほどにある降車口に板がセットされて、そこから車椅子の乗客を乗せるための準備をしているところであった。

 しかし、それは近づいたからわかったことであって、乗客がたくさん行列をつくっている後方からは知りようのない事実なのである。

 

 (何も怒鳴ることはないだろうに)と思いつつも、怯えている我が子のことを気遣い、できるだけ優しい声で「ああ、車椅子の人がいたんだ。じゃあ後に並ばなきゃね」と娘に声をかけ、改めて列の最後尾に並んだ。

 しかし、その後ずっと嫌な気分であった。

 車椅子の客がいることを指摘するのに、何ゆえにあのような大声でわめき散らさなければならないのか。

 ただ誤解しただけだというのに。それも小さな子供も一緒だというのに。普通に「今、車椅子の人が乗るところですよ」と言えばすむことではないか。

 

 思うに、怒号の主はバスに乗ろうとする我々を見た瞬間に、全障害者の立場を代表する絶対正義の立場に自らを据えてしまったのではないか。

 障害者の人権を踏みにじるような馬鹿親子を「許すまじ」という強い義憤がその瞬間に爆発したのではあるまいか。

 

 正義の味方が悪を懲らしめる。

 

 狭い病院内で足を投げ出している不届き者の足を蹴飛ばしていった女性はさぞや痛快な気分であったろう。

 障害者がいるのに順番を無視してバスに乗ろうとする馬鹿者を怒鳴りつけた男性はさぞや溜飲が下がる思いであっただろう。

 

 やれやれである。

 ふと、以前読んだ小説のこんな一節を思い出した。

 

「人ができるだけ慎まなければいけないこと。それは他人に対して正しさの定規を振りかざすことである。」

 

 何故こんな話を今さら思い出したかというと、あの大震災以来、定規を振りかざす人が目立って多くなったような気がしたからである。

 

 正義の味方やら偉い人やらがあちこちいっぱいだ。

 いやはや、なんとも。

 

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