壊れていくモノたち

 思えば、ここに何かを書くのも実にちょうど半年ぶりである。

 それは主として精神的にかなりきつい日々が続いたことと、怒涛のように忙しい日々が続いたこととに起因する。(「起因」だなんて、ひさしぶりなんで表現が固いな)

 忙しい日々は現在も続いているのだけれども、やっと連休となって、なんとかパソコンに向かってこの手のダラダラ文章を書くくらいの余裕はできたので、久しぶりに書くのである(言い訳の多い出だし)。

 

 さて、昨年から今年にかけて、色々な身の回りの品々が壊れた。

 電子レンジが壊れたことはここでも書いたが、その直後に掃除機も壊れた。その後にはビデオカメラまで壊れた。その前にはシェーバーが壊れているし、娘の使っていた電子キーボードも壊れている。

 ビデオカメラは、仕事で沖縄修学旅行に生徒引率をした時に、すでに羽田でおかしくなっていた。せっかく旅行の記録を撮るつもりで持っていったのに、何かもかも台無しである。

 

 布団も壊れた。布団も壊れるのである。

 ずっと使っていた羽毛布団なのだが、キルト状になっている内部の仕切りの糸が切れてしまったのである。仕切りがなくなると羽毛が自由に動けるようになる。自由行動ができるようになった羽毛君達は、決して以前のように秩序ある行動をとって全布団区域にまんべんなく分散などしてくれず、一箇所に集まってたむろするようになってしまったのである。つまり、羽毛がカバーの端っこに団子状に固まってしまうようになったのである。寝る前にいくら均等になるように散らしても、夜中に寒さに震えて目覚めてみると、かかっているのはただの布状の布団カバーだけで、肝心の羽毛は全部足元の方で団子になっている、ということが毎日のように繰り返されることとなった。冬場だったのでこれにはまいった。

 

 ところで、実はこれらの製品が壊れた時というのは、いつも共通して同じようなあるきっかけがあった。

 新品の購入、というのをちらと考えた時なのである。

 掃除機の時はすごくわかりやすかった。

 壊れる日の前日、テレビショッピングで「ダイソン(知る人ぞ知る海外製高性能掃除機)」の紹介をやっていて、それを見たのだ。

 従来の掃除機をかけた後に、もう一度ダイソンで掃除をするという「ブラウン・シェーバー」みたいな実験をやっていたのだが、すごい量の塵や埃がとれるのだ!

 とったゴミの処理も楽だし、アタッチメントも豊富で使いやすい。

 テレビを見ながら「ほーっ」「こりゃすごい」「いいよなぁ」などと声に出して感心することしきりであった。

 たぶん、我が家の掃除機は、この光景を見ていたか、聞いていたかしたのであろう。

 そして、「ああ、私の時代はもう終わったんだ……」と落胆し、老醜をさらすことなく、自ら尊厳死の道を選んだのだと思われる。

 

 ビデオカメラが壊れた時も、思えば修学旅行前日にヨドバシカメラのビデオコーナーを覗いている。

 最近のビデオはすべて小型化している。そのコーナーを通りかかった時に、「これくらいのサイズならば持ち歩きも楽なのになぁ」とつい思ってしまったのである。我が家のビデオ君は俺のそのような浮気心を察したのである。女の勘はするどい。違うか。

 

 こう立て続けにモノが壊れて新製品を購入すると、とにかく金がかかってたまらない。

 そのためにも、今使えるものは目移りせずに使い続ける、という姿勢をとらねばならない。

 

 と思ったら、パソコンの調子が悪くなってきた。なにしろもう7年以上使っているもんな。たぶんハードディスクの耐用年数の問題だと思われる。ハードディスクはいつか必ず壊れるものなのだ。だとしたら、もう後継機のことを考えてやらないと、完全にクラッシュしてからでは手遅れである。

 ということで、パソコン売り場から最新のカタログをもらってきて、物色を始めた。

 そうしたら、職場で使っているノートパソコンが前触れもなくいきなり壊れた。そっちですか。

 家で使っているパソコンより更に一年前に購入したものなので、それこそハードディスクの限界だったのだろう。修理見積もりを出してもらったら、5万円以上かかるとのこと。もはや修理しても仕方がない。

 

 ということで、休日に秋葉原に行って本格的にパソコン売り場を見ることとなった。

 最近のパソコンはネットブックといった安いタイプのものは増えた。ただ、スペックの高いものは依然として値段も高い。

 値段と耐用年数を考えるとつくづく高い家電品だよなぁ、などと色々と見ていたのだが、ふと気がつくと一緒に来たカミさんがいない。

 どこへ行ったのかと周囲を見回すと、向こうから何やらにこやかにやって来る。手に名刺を持っている。

 聞けば、店員に電気釜のことを説明してもらったのだとか。「メーカー別に色々と特徴を親切に教えてくれた」と嬉しそうに言う。

 オーノー、何てことをしてくれたのだ! 我が家の電気釜は結婚以来ずっと使っているので、既に18年以上を経過している。いわば歴戦の勇士である。あちこちガタがきているのも事実だ。満身創痍と言ってもいい。けれども、そんないつ壊れてもおかしくない状態にもかかわらず、かいがいしくも毎日おいしいご飯を炊いてくれているのだ。

 なのに、そんな功労者の文字通りの「後釜」のことを考えるなんて!

 このことを我が家の電気釜が知ったら……と考えると、もっか気が気ではない。

 

  つれづれ随想録トップへ戻る  管理人室へ戻る  トップページへ戻る