愛さない人達
カミさんが竹内まりやの最新ベストアルバムである10月1日発売の「Expressions」が欲しいというので、早速ネットで注文することにした。10月3日のことである。
どうせなら同じ値段で特典付きの「初回限定盤」がいいと思い、頼もうと思ってびっくり。「出品者からお求めいただけます」と書いてあるのだ。
何ということであろう。もう新品は売り切れで、中古市場のものしかないというのである。いくら人気があるといっても大手ネットショップで発売から2日も経たないうちにもう品切れというのはいくらなんでも極端である。それでいてもう中古市場にある(しかも定価より高値になっている)というのもおかしな話だ。
ようするに、投機目的でこの手の限定品を買い占める人間がたくさんいるということであろう。試みにネット・オークションを調べたら、やはり大量に出品されている。
竹内まりやなど好きでもないのに、ただ金欲しさだけで買いあさるこの手の連中のせいで、本当のファンが定価で手にすることが出来ない、というのはなんともやりきれない話である。
彼らは抜け目がないから当然そのコピーも複製していることであろう。
所謂「新古書」が問題になって久しい。
新刊本がすぐにブック・オフ等の古本屋に流通し、結果的にそこで中古本を買う人が増えて、書店で正規の値段で新刊本を買う人が減り、本の売り上げが落ちているという、あれだ。
「この国の多くの人々は、本を買う人がいなくなれば本は消えていく、ということを知らない」とある作家が嘆いていたが、その通りであろう。
ただ、書籍の場合、部分はともかく、一冊全部をコピーすることはないだろうし、ましてやそれをデータ化してネットに流す人間もいないであろう。
ところが、CDの場合は違う。パソコンを使えば寸分たがわぬ複製が容易に出来てしまうし、そのデータをネット上に流す不逞の輩もいるのだから、事態は深刻だ。
CDを買ってコピーして転売、それをまた誰かが買ってコピーして転売、ということを繰り返していれば、CDが売れなくなるのは当然である。先ほどの作家の言を借りれば、「CDを買う人がいなくなればCDは消えていく」ということになっていく。これはネットによるダウンロード販売についても同じことで、正規に金を払って購入する人間がいなくなれば、自ずから音楽産業は衰退していくしかない。
そういうことを知ってか知らずか、コピーをせっせと推奨する人達がいるのも事実である。
以前定期購読していたパソコン雑誌がそうだった。その雑誌では定期的にCDのコピー特集が組まれていた(まだDVDはそれほど普及していなかった)。
CCCD(コピーコントロールCD。容易にパソコンでコピー出来ないよう特殊な信号を一緒に記録させてあるCD)が世に出た時には、これを徹底的に批判した。CCCDは普通のCDプレーヤーでは再生できるが、パソコンでは読み込めないようにしたものである(まだiPod等の携帯デジタルオーディオが普及する前の話である)。
パソコン雑誌も最初は露骨に「コピーできないこと」を前面に出すのではなく、主として「パソコンで音楽が聴けない」という点を強調して批判を展開していた。
だが、そのうちに、「CCCDは音が悪い」という中傷まがいのことを言い出すようになった。CCCDはコピー防止用の信号が入っていて、それが再生音に悪影響を与えるからだという主張である。しかし一方で、そんな微細な音の違いまで聞き分けられるはずの耳の持ち主が、データの間引き処理をしたMP3音源を「CDと同等の音質」などと言っているのだから二枚舌もいいとこだった。
技術は日進月歩である。やがてはCCCDのコピー方法も研究され、その特集が勝ち誇ったかのようにその雑誌に組まれるようになった。結局はコピーしたくてもできなかったから憤っていた、という立場を明らかにした訳である。
呆れたのは雑誌の中でそういった特集と一緒に掲載されていたあるコラム。
その筆者は、例によってCCCDを批判しつつ、「ミュージシャン達もCDをたくさん売って金儲けをしようなどとは考えていないはずだ」などということを書いていたのである。
絶句であった。
これを書いた人物はまさかミュージシャンという人種は霞を食って生きているとでも思っているのだろうか? それともミュージシャン達は誰もが皆生活の心配など何一つなく創作活動に専念できる資産家ばかりだと思っているのだろうか? また、音楽を作るための機材やスタジオを借りるための費用は天から降ってくるとでも考えているのだろうか?
そんなことはあるまい。
音楽CDのコピー・テクニックを応用すれば、パソコンソフトのCD−ROMも容易にコピー出来る。だが、そんなことはその雑誌では一言半句も触れない。
何故なら、パソコンソフトの会社は大事なスポンサーだからだ。
雑誌はスポンサーの広告によって成り立っている一面がある。
パソコン雑誌はパソコンのハードやソフトのメーカーがスポンサーなのだからパソコンの利便性を強調する必要がある。
また、そのことによって同時にパソコン利用者に雑誌を買ってもらい、売り上げを伸ばすという目的もある。
それ故のCDコピー礼賛なのである。音楽産業は直接のスポンサーではないから何を書いても問題ない、という立場なのだ。
要するにすべて「金」なのだ。
金のためなら何を書いても許される、ということなのだろう。
自分と利害関係のないところであれば、そこにどのような悪影響が及ぼうが関係ない、ということなのだろう。
自分達が儲かればそれでいい、ということなのだろう。
音楽も芸術も文化も愛さず、ただ「金」や「儲け」といったものにしか関心のない人達。そして、今の世の主導権を握りつつある人達。
好きでも何でもないミュージャンの限定CDを買いあさり、それを転売して儲けようとする連中も、きっとそういう人種なのであろう。
ネットショップで「初回限定盤」が完売であることを知った翌日、ちょうど休日だったので、秋葉原まで行ってCDを扱っている大手のレコード店(「CDショップ」と呼ぶよりも、こっちの言い方のほうが馴染みが深いので)を覗いてみた。
高校生の頃から、レコードを買いに何度も足を運んだ店である。もちろん地元の店でも同じ品物は手に入れることは出来たのだが、大きな店というのは品揃えが豊富で、それをあれこれと物色していると、思わぬ新しい音楽との出会いなどもあって、そういう過程そのものが楽しかったのである。つまり、レコード屋に足を運ぶことは、それ自体が娯楽であったのだ。
うれしいことに、「竹内まりや Expressions 初回限定盤」は店頭にちゃんと並べられていた。ホッ。
秋葉原だって大量の買い物客がやってくるだろうに、なぜ大手ネットショップでは即完売になったものが、こうして在庫が残っているのか?
おそらくは、限定盤を投機目的で買いあさる連中は、安易な手段で金を儲けようとする横着な人間達であるから、ネット上で手軽に売買することはやっても、わざわざ電車賃を使って街へ出て、店頭に足を運んでまで買い占めようという気はないのだろう。よかったよかった。
目的のCDが手に入ったこと。そして自分にとって大切な場所である「レコード店」がまだ金の亡者達によって踏み荒らされていなかったこと。この二つによって、ちょっとだけ救われた気持ちになった。