そう見られたか
以前、卒業生と夏にクラス会をやった時のことである。
オレは仕事帰りだったので、半袖ワイシャツにネクタイ、といういでたちだったのであるが、その姿を見た卒業生の何人かが「うらやましいですね」としきりに言う。
そう言う彼らを見渡して納得。彼らもやはり仕事帰りなのであるが、皆、スーツを着用しているのだ。それ故、軽装で仕事が出来るオレのことを羨んだという訳である。
クソ暑い夏場に上着着用で仕事することはさぞかしツライことであろう。オレにも経験があるからわかる。
「クールビズ」などという言葉が生まれてしばらく経つが、依然としてスーツ着用を義務付けられている仕事は多い。特に営業系か。
何と言ってもやはり人は見た目で他人を判断する傾向が強いからであろう。
そう。「人を見かけで判断してはいけない」というのはやはり理想論であって、現実がそうなっていないからこそわざわざ口にされる言葉なのであろう。
オレもかつては営業マンとして毎日スーツ着用で仕事に行っていた日々がある。大学卒業して間もない頃である。
当時はまだ結婚前だったので、実家のある総武線の新小岩駅を利用していた。
現在は知らないが、当時はこの新小岩駅前にはけっこう風俗系の店が多かったのである。
そのため、夜になると夥しい数の客引きが駅前を中心にあちこちに出没し、駅の改札を抜けると、彼らが一日の仕事を終えたオレに次から次へと寄って来るのである。
彼らも仕事なのだからであろう、これが結構しつこい。無視してもしばらくは着いてくるのである。だが、呼び込みが甘言を弄して客を引っ張り込むような店がまっとうであるはずもなく、その手の呼び込みはすべて振り切っていた。
だが、そのような鬱陶しい呼び込みばかりではなかった。何とも楽しい客寄せにも遭遇したことがある。
それは駅の改札口にいた。それも一人ではない。複数人でずらりといくつかある改札の出口に並んでいるのである。そして、それは全員がバニーガールだったのである。
彼女達は駅から出て行こうとする殿方達に、丁寧に自分の名刺を渡しているのである。もちろんオレにもくれた。これはちょっと嬉しかったりした。
こうして、この文章を書いている今も、その時のことを思い出すと頬が緩んでくるほどである(オイオイ!)。
さて、そのような様々な客寄せに遭遇していたのであるが、ある時を境に事情が一変した。
別項にも書いたが、会社を辞めて失業したのである。
当然のことながら、もうスーツを着て通勤することもなくなった。
それでも駅前を歩くこともあるし、電車を使って出かけて帰ってくることもあった。ところが、あれほどしつこかった客引きの呼び込みがまったく寄って来なくなったのである。見向きもしない、と言ってもいい。
もちろんその理由が、失業中のオレのさえない表情とさえない服装にあることは明白であった。
もはや、バニーガール部隊のお出迎えなど夢のまた夢であった。
結局、人は見た目なのだなぁ、ということをつくづくと思い知った出来事であった。
確かに「チョイ悪おやじ」などと称して、せっせとマニュアル本見ては無理に悪ぶって見せるというのももの悲しい話であるが、かと言って「男は辺幅を飾らず」と服装に全く無頓着で外見に何も関心を持たない、というのもやはり問題があるのだろう。結局、「見てくれ」もその人のパーソナリティーの一部、と判断されることが多いのがこの社会だからだ。
以上は自戒を込めて書いたつもりである。
だが、そうは言っても、夏場のように連日暑い日が続くと、そんな自戒もあっけなく崩れてしまう。
特に、仕事から離れたプライベートの時くらい、誰にも気を遣わずに涼しくて楽な格好をしたい、という欲求が強くなるのである。誰かに会うわけでもないのに、汗だくになるのをやせがまんをしてまで身支度を整えよう、とはなかなか思えないものだ。
さて、まだ残暑の厳しかった先月の上旬、土日にやった仕事の代休で平日に休みがとれた。そこで、ちょっと遠出をしようと思い、バスで錦糸町まで出て、その後JRに乗るために駅前を移動していた時のことである。
フリーペーパーを配っている人がいたのだが、その人がオレの姿を見ると迷わず寄ってきて、手に持ったフリーペーパーをオレに手渡してくれたのである。
「ほう、どれどれ何だろう」と、オレは受け取ったそのフリーペーパーの表紙を見た。
『タクシー転職道』というタクシー運転手専門の求人誌であった――。
うーん、そう見られたか。
その時は、確かにTシャツに短パンにリュック、おまけにサンダル履きといういでたちであった。いい年をした中年のオッサンがそんな格好で平日の駅前をぶらぶら歩いていた訳である。
であるから、そういう風に見られても仕方がないだろうなぁ、と思う。