腰痛エレジー その3

 忘れもしない今からちょうど十四年前、かつてないほどの腰の痛みとともに、足が動かなくなり、歩くことができなくなってしまった。

 脳から出発した神経は、頚椎・脊髄を通って腰椎に至り、そこから足の先まで伸びている。

 椎間板ヘルニアによって腰椎の神経が圧迫されると、その先に信号が伝達されなくなり、結果として足が動かなくなるのである。

 もちろん仕事になど行けない。即、入院である。よく修辞として「這ってでも行く」というものがあるが、あれは現実には不可能であって、人間は這って外出することなど出来るものではないことを実感として知った。

 各種検査の後、治療には手術以外ないことがわかった。

 神経の通り道を手術するのであるから、当然危険は伴う。一昔前だったら、半身不随を覚悟の上で受けるような手術だったらしい。だが、技術が進歩したのと、たまたま入院した病院に腰痛の権威である腕利きの医師がいたのが幸いし、手術は無事に成功した。全身麻酔というのもこの時生まれて初めて経験した。

 ただ、手術が無事に終わったからといって、「はいそうですか」と腰の痛みがとれるわけでも、足が動くようになるわけでもなかった。

 それはこれから長い時間をかけてリハビリによって徐々に改善させていくしかないのであった。

 

 病院内は車椅子で移動できたので、よく診察時間が終わって人気のなくなった頃のロビーに行っては、そこにある大きなガラス窓から外を眺めた。窓の正面は道路で、歩道をせわしげに歩くたくさんの人が見えた。

 それらの人々の次から次へと通り過ぎる姿を見ながら、「ああ、自由に歩けるというのは、人間にとってなんと幸福なことであろうか」とつくづく感じた。

 

 足は少しずつ回復していき、リハビリの甲斐もあって、何週間かすると、医療用の杖をつきながら少しずつ歩けるようにまでなった。

 そうしたら外出許可が出たので表へ出てみた。あれほどあこがれていた外の世界である。

 しかし、外の世界は恐ろしい世界であった。まず、道行く人がみな忙しげで、遅く歩く人をぶつかるようにして追い越していく。また、手すりのない段差や階段がこんなにも多いとは今まで気がつかなかった。杖をつかなければ歩けない人間にとって、手すりのない段差や階段は心底恐怖である。

 日本はまだまだ障害を持っている人間にとって開かれているとは言いがたいのだ、ということがわかった。ずっと健康なままでいたなら、おそらくそんなことに気がつくことはなかったであろう。

 

 結局、びっこを引かずにちゃんと歩けるようになるまで1年以上かかった。

 

 さて、現在――。

 今も腰は痛いままである。朝起きたときには特にひどく、恐る恐る寝床から立ち上がり、よろよろとゆっくりとしか歩けない。

 腰痛は治らない。これはもう仕方のないことである。後は一生この痛みと共存していくしかないのである。だから日常生活ではずいぶん注意をするようになった。起きるときには必ず四つんばいになって起きるし、洗面台で顔を洗うときは、必ず肘をついて体重をサポートする。同じ姿勢は続けないように注意するし、定期的な柔軟体操やストレッチも欠かさない。

 そして、なによりも腰が痛み始めたときは体に無理な負担がかかっている時なのだから、素直に体を休める。これは、小さな穴を開けたくないばかりに無理を重ね、結果的に長期の入院で仕事に大きな穴を開けてしまったことからの反省だ。

 

 腰痛で悩んでいる人がいると、何だか嬉しくなってくる。仲間だ、と思うからである。共に辛い体験を語り合いたくなる。

 特に、腰痛初心者には適切なアドバイスを与えたい。

 腰痛で良くないのは、一時的に痛みが治まった時に、また無理をしてしまうことである。これはオレ自身が体験から学んだことだ。だから一度でも腰痛を経験したら、もう一生のつきあいになると覚悟して、根本から生活を見直さないと駄目である。

 従って、オレは腰痛初心者の人にはまず「腰痛は、一度やったら一生治りませんよ。保障します。」と話を切り出す。

 なるべくこちらとしては相手を落胆させないよう、気を遣ってニコニコと笑顔で語りかけるのだが、あまり効果はないようである(当たり前か)。

 

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