嗚呼、交番の夜は更けて

 前回登場したM氏のことを書いた時に、「その手の揉め事にまたぞろ巻き込まれるのはごめん」ということを書いたが、実際色々なことがあって、例えばこんな一夜があった。

 

 その日はM氏を含む当時「びいるじゃあなる」を作っていた3人で、何軒かで飲んだのであるが、M氏の自宅の近くの道でそろそろお開きにしようか、と立ち話をしていた。

 その時すでにもう相当酔っ払っていたのであるが、ふと歩道の脇を見ると、某政党の選挙用のポスターを貼った看板が目に付いた。

 オレは、「選挙はとっくに終わっているのにいつまでも片付けないとは怠慢である」と思った。とりわけ、そのポスターに書かれている「消費税は悪だ」という基本的に有権者を馬鹿にしたキャッチコピーにはむかっ腹がたった。そこで、鉄槌を下すこととした。

 看板はベニヤ板なので、そいつを引き剥がすと二つ折りにして四つ折りにした。ベコンベコンと簡単に看板はたたまれた。オレはそれを歩道の隅に片付けた。

 続いて、K氏が何を思ったか、歩道の脇においてあった工事用のラバーコーンを三つ持ってきて、それを歩道を封鎖するように横に並べた。とにかく酔っ払いのやることなので意味不明なのだ。

 看板撤去とラバーコーン並べという労働(?)を行い、達成感を感じたのか、我々はそこで解散することにした。一番遠いK氏がまず歩いてそこから離れていった。

 さて、では我々も、と思って移動しようとしたら、突然暗闇の中から「おいこらっ、待て」という声が聞こえてきた。

 見ると警察官である。

「お前らここで何をしていた。」

「何もしていません」

 M氏が答える。

「嘘をつけ! さっき大きな音がしただろう」

 何ということであろう。この警察官は先ほどからずっと我々の様子を伺っていたらしいのである。しかしこちらが三人の時はさすがに多勢に無勢と考えていたのか出て来ず、二人に減った時点で飛び出してきた、という訳である。拳銃を持っているにしてはなんとも情けない登場の仕方ではないか。

「これは何だ!」

 警察官はラバーコーンを指差すとM氏に向かって言った。

「これはお前がやったんだろ!」

「やってません。」

「なんだと! 嘘をつくな!」

 M氏は嘘はついていない。彼はただ見ていただけで、看板破壊にもラバーコーン並べにもいっさい関与していないのだ。だが、警察官はM氏のふてぶてしい態度が気に入らなかったと見えて、

「お前、なんだその態度は。腕に自身があるのかもしれないが、オレはT大学の柔道部だったんだぞ!」

 警察官がM氏に詰め寄ると、M氏も、

「ふーん、そうですか、僕はK大学の柔道部でした」

 と、一歩も引かずに寄り返す。

「よ、よーしわかった、お前ら二人とも交番まで来い!」

 形成が悪いと思ったのか、警察官は我々二人を連行する方針に変更した。しかし警察に行かなければならないほど悪いことなどしていないのだが……。

「いいでしょう、行きましょう。」

 しかし、M氏はすっかりその気である。

 

 さて、交番に着くと職務質問から始まった。嘘をついてもしょうがないので正直に申し出ると、件の警官は、

「な、なにー、お前らみたいな先生がいるはずないだろ!」

 と、全く信じてくれない。M氏は身分証を持っていたのでそれを提示した。

「本当に学校の先生なのか……」

 我々が怪しい者ではない、ということがわかりはじめてから、交番の人々はこれ以上この件であれこれ追及しようという気はなくなっていったことが雰囲気でわかった。そもそも連行されるほど悪いことなど何一つしていないし、ラバーコーンの件にしてもそれを並べた張本人はここにはいないのだ。

「まあ、お互い公務員ということだし……」

 警官の一人がうまくとりなし、話をまとめて事態の収拾を図ろうとした。オレは内心ホッとした。いつまでこんな馬鹿げたことにつき合わされたくなかったのである。酔いもどんどん醒めていったし、だんだん眠くなってきていた。

 だが、「冤罪」で連行されたM氏はおさまらなかった。

 何故か近所のT字路の安全性のことを問題にし始めたのである。そのT字路の問題点を強行に警察官に訴え始めた。

「あの位置のミラーじゃ見えないんですよ。危ないじゃないですか」

「うーん、そうはいってもあれを我々に言われても……」

「事故が起こるかもしれないものを放置していいんですか」

「いや、危険なのは承知しているんだが……」

「じゃあ、なんとかすべきじゃないですか」

 警官も弱りきっている。だがM氏は野党の追求のごとく執拗にせまる。何度か警官がとりまとめようとするのだが、M氏はあくまでT字路問題にこだわった。

 警察官もまいっているだろうが、そんなローカルな話題を傍らでずっと聞かされているオレもホトホト疲れきっていた。

「あそこで事故があった場合、誰の責任になるんですか」

「いや、責任と言われてもねぇ……」

「そうじゃないでしょ! 危険性は承知してたわけでしょ」

「それはそうかもしれないけど……」

 T字路問題は延々と続いた。時計をそっと見るともう午前2時を過ぎている。酔いはすっかり醒めていた。

 まわりを見回すと、警官達も疲れきった顔だ。えらいヤツを連れてきてしまったと思っていることだろう。しかし、M氏の舌鋒は留まることを知らなかった。

 オレはもう一度時計を見ると大きくため息をついた。議論はいっこうに終わる気配がなく時間だけがただいたずらに過ぎていく。オレは何だか泣きたい様な気持ちになるのだった。

 

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