エスカレーター整列拒否?

 東京ではエスカレーターの左側の列には歩みを止めて乗る客、右側の列には乗った後もなお歩を進める客、というように棲み分けがなされている。それがいつ、どのようにしてそうなったのかはわからない。だが、いつの間にかそういう流れが定着していて、どこの駅に行ってもその並びになっている。いかにもせわしない東京らしい光景だ。

 かつての同僚であったM氏とこの夏ビールを飲みに行った時のことである。

 何軒か梯子したのであるが、その時の移動の際に、M氏は俺が駅のエスカレーターの左側の列に乗ると、その後に続いて乗るかと思いきや、なんの躊躇もなく俺の右隣に乗ったのである。もちろん足は止めたままで、である。

(そこでは通行のじゃまになるのでは)と内心思ったものの、人が来ればどくだろうと考えてあえて口は差し挟まなかった。

 M氏はそんなことを知ってか知らずか、駅から駅への移動のどのエスカレーターでも笑いながら俺の隣の右側の列に陣取り続けたのである。

 

 先週の金曜日、仕事中から何故か左ひざがぎくしゃくとし、軽い痛みを持ち始めた。そして、その日の夜から痛みが徐々に強まり、翌朝には歩行が困難なほどになってしまった。

 前日にウェートトレーニングを行っており、また高校生と柔道の乱取りもしていたので、あるいは靭帯を痛めたかな、とも思った。

 以前にも靭帯を損傷したことがあり、その時も一日遅れくらいで痛みが来たのである。ただ、靭帯の時には一日遅れの痛みはその時がピークで、その後はむしろ徐々に痛みは和らいでいったのが、今回は異なっていた。

 痛みはじわりじわりとその強さを増していった。日中には杖をつきながら歩けたのが、夕方には痛くて遂に足を床につけることが出来なくなり、完全に歩行が不可能になってしまったのである。こうなるともう横になっているしかないのだが、何もしなくても痛みは激しく、夜は殆ど眠ることも出来ないまま痛みに苦しむこととなった。

 翌日救急病院に診てもらいに行った(幸い住んでいるマンションで車椅子が借りられた)のだが、当直医は脳神経外科の人で、レントゲンを取って痛み止めの薬はくれたものの、「これ以上のことは何もできません」とキッパリと言った。

 仕方なく仕事を休んで再び翌日ちゃんと整形外科医に診てもらったところ、関節が炎症を起こしていることが判明。目の前で太い注射器で膿と血を抜かれ、代わりに化膿止めを注射された。通風の疑いもあったのだが、検査の結果そっちはセーフだった(ホッ)。

 結局、痛みがある程度引いて杖つきながらでも歩けるようになるまで2日も仕事を休んでしまった。

 

 さて、仕事に復帰した一日目、通勤電車に乗るためにエスカレーターに乗ろうとしたら、今まで感じなかったことを感じるようになっていた。

 こちらは杖つきながらのヨタヨタ歩きのため歩みは当然遅い。それを皆追い越すようにしてエスカレーターの入口に突入していくのである。

 また、エスカレーターに乗っても、まるで左列に乗っている人を邪魔だと言わんばかりに押しのけるようにして先へ進んでいく右列側の人が多いということである。

 電車の発車時刻が迫っている、というのはわからないでもない。でもまさか事故現場にかけつける救急隊員じゃああるまいし、杖をついた人間を押しのけて行くほどの火急の用件を持った人がどれほどいるというであろう。

 だいたい、それだけ元気があれば、最初から階段をつかえばいいのだ。狭いエスカレーターを疾走するなど危険きわまりない。急ぐ人間は階段を使うべきであって、エスカレーターは遅くても安全かつ快適に目的地につきたい人のためにあるものなのだ。

 自分が弱者の立場にたって、初めてそのようなことが実感としてわかったのであるが、そこまでわかったときに、はっと気がついた。M氏のことである。

 

 M氏は柔道の達人で、全盛時にはベンチプレスで140kgを持ち上げたほどの豪腕の持ち主である。そして、自分が納得できないと、そのことに関して自らの正義感に執着せずにはいられない性格で、酔っ払うとその傾向がさらに顕著になる。まあ、早い話がからみやすくなるのである。

 あの日、酔っていたM氏は、もしや右列を疾走する人間に遭遇するのを待っていたのではあるまいか? そしてそういう傲慢な人間にどかされそうになったら、からむ……じゃなくて正義感を発揮するつもりでいたのでは? そう考えればあの時の不敵な笑顔にも合点がいく。

 既に述べたように、右側の列を整然と空けてまで急ぐ人を優先的に歩行させる必要があるのかどうか疑問はある。だからと言って、それを体を張ってとめるのもどうかな、という気もする。

 幸いにそういう場面は発生しなかったのであるが、そういう場面を見てみたかった気持ちと、その手の揉め事にまたぞろ巻き込まれるのはごめんであるという気持ちと、半々というのが今の正直な気持ちである。

 

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