「秘密基地」の思い出
我がマンションのベランダから公園が見えるのだが、この公園の遊歩道とマンションとの境に樹木が鬱蒼と茂っており、ある時、その一画に子供達が「秘密基地」らしきものを作っているのを見つけた。
そこは公園の遊歩道からは完全な死角になっており、そこに子供達はダンボールの敷物等を用意して居住スペース(?)を確保したのである。もっとも、我が家のベランダからはその様子が丸見えだったので、とても「秘密基地」とは言いがたいのであるが、彼らはそんなことはつゆ知らずに、時々集まっては、オモチャやら本やらを持ち込んではごそごそと仲間同士で遊んでいた。
だが、やがて公園の管理者である区によって大掛かりな公園の樹木の伐採が行われたため、その場所は丸見えになってしまっただけでなくダンボール等も撤去されてしまった。あえなく秘密基地は失われてしまったのである。
都会ではもはや子供が秘密基地で遊ぶことなど出来なくなってしまったのであろう。
秘密基地で思い出すのは、子供の頃のことだ。もうずっと昔の話である。
我が一家はオレが就学直前に引っ越したのだが、そのためオレは誰一人友達のいない新しい町で小学校生活をスタートさせなければならなかった。
そして、新参者であるオレは、地元の近所の子供達からいじめられた。
なにしろこちらは小学一年生になったばかり。向こうは六年生を筆頭に5〜6人はいる。多勢に無勢である。
彼らはよくオレの遊び道具を奪った。追いかけようとしても、石を投げつけてくるのである。当時の道路は石がゴロゴロたくさんころがっていたので弾はいくらでも補給できる。複数で距離を置きながら投げつけるのでどうすることもできない。ちなみにいくら投げるのが小学生とはいえ手加減など一切しないので石はあたれば普通に痛い。たまに追いついてもこんどはわっと襲ってきて今度はオレの両手両足を持って振り回して地面に押し倒すのである。
この手の新参者へのいじめは当時は珍しくなかったと思う。そういう時代だったのであろう。
そんなヒドイ連中ならば付き合わなければいい、とも思うのだが、皆我が家から半径100メートル以内に住んでいる子供達ばかりであるし、小学校は集団登校があるから、朝はいつも顔を合わせなければならないのである。
この手のいじめがいつまでも続いた。はっきりいって悔しかった。彼らは決してオレを仲間に入れてくれなかったし、一緒に遊んだりもしてくれなかった。それどころか、連日のような石つぶてである。子供心にもなんとも腹立たしかった。とても年上の人間のやることとは思えなかった。
そうして、ある時、オレは逆上した。
いつものように彼らに石つぶてをぶつけられていた時のことである。
オレは道端に落ちていた大人のこぶし大の石を手に取ると、それを振り回しながら彼らの方に突入していったのである。彼らはせせら笑っていた。そんな大きな石で本気で殴れるはずがない、と高をくくっていたのであろう。彼らは一応逃げるふりをしていたが、あまり本気で走りもしなかった。
そして、オレは一人の子に追い付いた。確か相手は小学校三年生の子だったと思う。こっちを向きながら適当に逃げるふりをしていたのですぐに追いついたのだ。
頭に血が上っているオレはそのこぶし大の石を何のためらいもなくその子の額に叩きつけた(逆上すると前後の見境がなくなるのは子供の頃から現在まで一貫している)。
鮮血が流れ出た。額というのはちょっと切っただけでも大量の血が流れるものである。その子は血を流し泣きながら俺につかみかかってきた。周りの子達はあまりの展開にオロオロするばかりである。何といっても皆小学生なのだ。
その後のことはあまりよく覚えていない。その日の夕方に先方の母親が怒鳴り込んできたことは覚えている。その時、オレは母親と押入れに隠れていた。ちょうど母親の友人が家に来ていたので、応対してもらい、居留守を使ったのである。我が母は、息子が連日のようにいじめられていたことを知っていたので、この件について何一つ苦言を呈さなかった。中学生の兄貴に至っては「よくやった」と誉めてくれた。
さて、いくら家族が味方してくれたとはいえ、やはり今後のことを考えると気が重かった。何しろ集団登校でその子とは毎朝顔を合わすのである。
翌朝、何ともオレは気が重かったので、なかなか家を出られなかった。けれども、いつまでもぐずっているわけにもいかず、母親に押し出されるようにして家を出た。
集団登校の場所におずおずと近づいていくと、皆もう集まっていた。もちろん怪我をさせてしまった彼も来ている。額の絆創膏が痛々しい。
ここまでくればもう躊躇していても仕方がない。オレは彼の前まで近づいていき、そして頭を下げた。
「昨日はごめんなさい。」
彼は屈託なく笑いながら、
「もういいんだよ。俺達も悪かったんだから、気にするなよ。」
と言ってくれた。彼はやっぱり年上であり、上級生であったのだ。
その事件以降、彼らのいじめはなくなった。
それどころか、一緒に遊ぶ時には声をかけてくれるようになったし、どこかに遠出をする時にも誘ってくれるようにまでなったのである。
さて、秘密基地である。
ある日、彼らが、自分達の秘密基地のいくつかを教えてくれる、という話になった。
当時はまだ、子供達が、大人の目から逃れてこっそりと隠れられるような場所がいくつか存在していたのである。
それは金網の向こうの草むらの中にあったり、鉄道用の枕木が積み上げられた奥の方にあったりした。
中でも一番最後に連れて行ってくれた基地が今でも忘れられない。
それは、国鉄の土手沿いの脇から細い草むらをずっと抜けた場所にあった。鉄道の高架下のかなりわかりにくい所の地面が掘り返されて十分なスペースが確保されており、かなり本格的な秘密基地であった。
「ここを掘るのは苦労したんだぜ」
彼らのリーダー格の少年は言った。そして続けた。「ここが俺達の一番の秘密基地なんだぞ」と。
オレが怪我をさせてしまったあの彼も、誇らしげに目を輝かせている。
彼らにとっては一番大切な場所を教えてくれたのである。
そのことによって、彼らがオレのことを正式に「仲間」として認めてくれた、ということを肌で感じた。それが何とも嬉しい気持ちだった。
あれからもう何十年と経つ。たぶんあの秘密基地もとうに失われてしまったことであろう。
けれども、あの時の感激だけは今でも忘れられないのである。
拒絶されることのつらさと、受け入れられることの嬉しさ。人生において何度も繰り返されるこの両者を比べれば、前者の方が圧倒的に多い。他の人はどうか知らないが、少なくとも自分の人生においてはそうだ。
だからこそ――それが数少ないからこそ――、受け入れてくれた人やその時の思い出というのはいつまでもいつまでも忘れられずに心に残っているのである。