M病院蒸し風呂病棟

 以前の職場の同僚から久しぶりに近況を知らせるメールが来た。彼は現在、全日制と定時制と昼夜掛け持ちで働いており、しかも都で行われる研修も三つも掛け持ちして受講しているとか。イヤハヤすごい頑張りである。

 彼は年齢が20代の後半で、体もスポーツで鍛えているので体力には自信があるのだろう。けれども、くれぐれも飛ばしすぎて体調を崩さないよう気をつけて欲しいものである。

 確かに自分自身の経験から言っても、この20代後半というのは人生において最も力がある時期ではないかと思う。エネルギーは後から後から湧いてくるし、疲労が多少蓄積しても、休養をとればすぐに回復するのがこの時期である。

 だがこの時期がピークだということは、逆に言えばそこを過ぎれば今度は徐々に衰えが始まっていく、ということでもある。

 

 オレは20代の後半までは大きな病気というのは殆どしたことがなかった。健康そのものだったと言っていい(嗚呼、懐かしい日々よ!)。ところが、29歳で初めての入院を経験してからは、その後4年間で4回の入院をするハメになった。単純計算で1年に1回は入院していたことになる。今までのツケがまとめてドッときた訳である。

 今、それらを回想してみると(原因はそれぞれ別)、入院そのものはつらい出来事であったが、窮地に陥った状態で医師や看護婦さんに親切に診てもらったことは、しみじみと心和む経験でもあった。過ぎ去ったことだからこそ懐かしく思い出すのであろうが、入院はそれまでの全力疾走で働いていた日々から考えると、ほんとの一時の休息とも言えた。色々とお世話になったなぁ、と思う。

 ただし、例外がある。

 腹痛で3日間入院した時のことだ。

 あの時の入院はツラかった。しかも病がツラかったのではなかったのだ。

 

 季節はちょうど今と同じ夏であった。

 隅田川の花火大会があった日の夜のことである。

 ちょうどカミさんの妹が米国から一時的に帰国して、我が家に遊びに来ていたので、それでは花火見物にでも行くことにしよう、ということでオレが弁当を作り、3人で楽しく花火を見てから帰宅したその深夜のことであった。

 眠っていたところに突然猛烈な腹痛が襲ってきて、目が覚めてしまったのである。過去にも腹痛になったことは何度となくあるけれども、それらとは明らかに次元の違う痛みであった。まるで胃壁に穴を開けられるような強烈な痛みだったのである。

「うう〜」

 腹を押さえてのたうちまわるが、どうすることもできない。間断なく続く痛みについに耐えかねて、寝ているカミさんを起こして救急車を呼んでもらった。

 深夜で道がすいているのか、救急車はすぐ来てくれた。

「近くのM病院でいいですか?」

 救急車の中でもあいかわらず腹を押さえて唸っているオレに、救急隊員の人が尋ねた。

「ううー、は、はい。」

 この際診てくれるのであればどこでもよいのだ(この考えが甘かったことを後に思い知らされることになる)。

 

 病院ではすぐに当直の先生が診てくれて、痛み止めの注射と点滴をしてくれた。それでずいぶんと楽になった。こういう時の病院ほどありがたいものはない。痛みが薄らぐにつれて、ホッとしたのか、眠気を催してきて、いつの間に寝入ってしまった。

 

 次に起きたのは朝だった。六人部屋の病室の中であった。

 なんだか猛烈に暑い。救急車で担ぎこまれたので当然衣類は昨晩のままなのであるが、下着からパジャマまでが汗でぐっしょりと濡れている。どうも、エアコンが全く利いていないようなのである。

 場所柄か(当時はまだ南千住に住んでいた)、同室の他の人たちはみんな労務者風の中高年の男達であった。

 昨晩の痛みはすっかり治まっていた。とりあえず、家にいるカミさんに電話で連絡しなければならない。ついでに着替えも持ってきてもらいたかった。

 看護婦さんを探すが見当たらない。看護婦さんがいない代わりに、掃除等で気ぜわしく動いているおばちゃん達がいる。お手伝いの人達なのだろうけれど、この人たちでは埒があかないだろう。

 しばらく待つうちにちゃんと制服を着た正規の看護婦さんが扉から入ってきた。

「あのー……」

「いやあ、会いたかったよー!」

 入口近くの患者さんが大声を出して看護婦さんに呼びかけた。

「あら、ナカムラさん、具合はいかがでしたか。」

「○○ちゃん、なかなか来ないからさぁ、オレ寂しかったよ。」

 すると、別の患者さんがやはり大声を出して看護婦さんに呼びかける。

「ちょっとちょっと、○○ちゃん、そんなやつほっといてこっち来てよ。」

「あらヤマダさん、だいぶ良くなられたようですね。」

「なんだよ、俺が今話してんだからよ。」

「いいじゃねえかよ、お前。」

「○○さーん、こっちこっち、こっちにも来てよー。」

 入院患者が次々に看護婦さんに声をかけるのである。だが、聞いていると、さしたる用件はなさそうなのだ。

 どうも入院生活で人恋しくて、それで競って看護婦さんに声をかけているだけらしいのだ。

 問題は我がベッドは部屋の一番奥にあり、これらの大きな声に遮られて、看護婦さんはオレが声をかけても全く気づいてくれない点なのである。

「えーと、あのー、すいま……」

「でさぁ、俺も困っちゃったわけだよ、○○ちゃん!」

「あ、すいません、じゃあ、また後で来ますからー。」

 看護婦さんは本来用事があった患者さんへの用件を済ませると、とうとうこちらに気づくことなく、さっさと立ち去ってしまった。とほほである。

 しかし、看護婦さんはやはりプロなので、ちゃんとその後、自分のところにも体温計を持ってやってきてくれた。そこでやっと、電話をかけたい旨を話し、その後の検査の予定なども聞くことができた。

 その結果、どうも各種検査をしてみないと腹痛の原因は特定できないらしいので、もう二〜三日入院することになりそうだ。こうなると是が非でも着替えが早くほしい。

 ところが、家にかけると誰も出ない。どうやらカミさんは帰国する妹を見送りに行ってしまったらしい。

 

 あいかわらずのベトベト衣類のままで蒸し暑い病室に戻ってみると、あの病院の手伝いおばちゃん達が数人集まって何か立ち話をしている。

「まーたっく、何だろうね、あの言い方はさ。」

「ホントホント。何様のつもりだよ。」

「あたしが、こっちはまだだからって言っているのにさあ。」

「腹立つったらありゃしない!」

 どうも誰かの悪口を言っているらしい。話の内容からすると、その場にいない他のおばちゃんの悪口らしかった。

 しかしである、その後十数分くらい立ったら、先ほどとは別のおばちゃん達の一群が入ってきて、やはり悪口を言い合っているのである。

「自分ばっかりが正しいと思ってんだからねー。やだやだ。」

「だから、あたしも言ってやったんだよ。それは違うんじゃないですかって。」

「なんなんだろうねー。」

 ……どうもこのおばちゃん達には派閥のようなものがあるらしいことがわかってきた。そしてその派閥同士が仲が悪いことも。

 けれども、他人の中傷だったら病室以外のとこでやってほしいものである。他の患者さんも看護婦さんの時とはうって変わって、おばちゃん達にはあまり声をかけたりしない。おばちゃんだから興味がないのか、あるいは恐れをなしていたのかもしれない。

 

 どうもこの病院、現在エアコンが故障しているらしい。この真夏日でこの状況はあまりにつらい。

 夜になっても熱帯夜で気温は下がらない。昨日からずっと同じ衣類のままで、しかも風呂にも入っていないので全身がベトベトだ。更に一日中ウトウトゴロゴロしていたせいか、夜になってもあまり眠くない。

 かくして、暑くて不快でしかもなかなか寝付けないという苦しい一夜を過ごすこととなった。

 

 翌日もまた朝からおばちゃん達はきびきびと働く。そして看護婦さんはあまり来ない。どうやらこの病院は看護婦さんの人手が足りないらしく、その分をこのおばちゃん達が手伝ってなんとかしているらしかった。本来、おばちゃん達は資格がないので医療行為はできないのだが、しかしそれに近いスレスレのことはやっていたように思う。いいのかなぁ。

 たまに看護婦さんが来ると、入院患者たちの一斉のラブコール。その後はおばちゃん達が数人集まっては悪口合戦。そして蒸し風呂のような病棟。なんだかひどく疲弊してきた。入院して疲弊するというのもおかしな話なのだが、本当なのだから情けない。

 

 その日は月曜日でカミさんは仕事を休めないとのことで、やはり着替えを持ってきてもらえない。

 業を煮やし、こっそりと病院の裏口からパジャマ姿で脱走し、自宅へ戻った。自宅から二十分くらいの距離の病院だったのである。この際、多少人目についたって背に腹は変えられぬ。

 家に着くと着替えを用意し、ついでにシャワーを浴びて気持ち悪かった汗を流した。

 しかし、病院へ戻って病室に入るとむっとした熱気の中、再び汗が噴き出してきた。こうなると何のために入院しているのかわからない。

 

 三たび寝苦しい夜を過ごした翌日の午後、先生に呼ばれた。

「検査の結果、特に悪いところは見当たりませんね。今、調子はどうですか?」

「あ、は、はい非常にいいです。」

「もしかしたら、食あたりのようなものだったのかもしれませんね。」

「そうかもしれませんね。だから今は大丈夫です。はい。」

 オレはできるだけ力強く言った。

「そうですかぁ。それでは明日にでも退院の手続きをしましょうか。」

「あ、あのっ、今日じゃだめですか?」

「えっ?」

「いや、もうすっかりいいので、今日にでも退院したいのですが。」

 先生は少し考えてから、

「うーん、まあいいでしょう。では清算の手続きをしておきましょう。」

 オレはすぐにあの蒸し風呂のような病室に行って荷物を大慌てでまとめると、受付窓口に行き、入院費は後日清算するという形で退院の手続きをし、逃げるようにしてM病院を後にしたのであった。

 

 オレは救急隊員の人が言った「近くのM病院でいいですか?」という言葉を思い出した。

 今後また同じような窮地に陥って、同じ質問をされたらどうするだろう。とにかくものすごい痛みだったから、それを何とかしてほしいのが最優先ではある。ではあるのだが、「他に空いている病院はないでしょうか」とか口走ってしまいそうな気もするのである。

 

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