一人暮らし体験
カミさんが、米国にいる自分の妹のところに子供を連れて遊びに行ってしまったため、十日間ほど一人暮らしをしなければならなくなった。
結婚するまでずっと実家で暮らしていたため、今までに本格的な一人暮らしの経験はない。
ただ、2ヵ月ほど一人で暮らした経験ならある。カミさんが妊娠・出産のために入院したり実家に帰っていたりしていた時期のことである。
自立しての本格的な一人暮らしから比べれば、言わば「体験版」といった程度の短い期間ではあるが、実はその頃は仕事がムチャクチャに忙しかったため、けっこうハードな日々だったのである。けれども、その時にある程度一人暮らしのコツのようなものをつかんだので、今回もなんとかそれで乗り切れるのではないかと思う。
そのコツを当時を振り返りながら紹介すると、まずは食事。
もともと料理は得意なのだが、なにしろ仕事で帰りが遅くなる上にくたびれ切っているので、なかなか自炊する気にはなれなかった。そこで最初はもっぱら出来合いの惣菜をスーパーから買って帰ってきていたのだが、このスーパーの惣菜というヤツは、コスト・ダウンのためか、材料の質がパッとしない。そしてその素材の悪さを誤魔化すために、必要以上に油を使ったり濃い調味料で味付けしたりしているので、続けて食べるとさすがにイヤになってくるのだ。だんだんと体調まで悪くなっていくように感じるほどだった。
かといって、作るのは面倒だし……。
そこで一計を案じた。
一品だけを作るようにしたのである。全部を作ろうとするから大変なのであって、簡単でボリュームがあるメインの料理一品だけならそれほど苦にはならない。これがあるだけでずいぶんと違うのである。
また、ご飯はまとめて炊いておいて、一食分ごとにラップでくるんで冷凍しておき、その都度食べる分だけ電子レンジで解凍するというテクニックも後半には導入した。これで食生活はだいぶ改善された。
次に洗い物。
一人暮らしの人に限らず、多くの人が苦手とする食べた後の食器洗いであるが、これは画期的な方法を一人暮らしの長い友人から以前に教わっていて、それを普段から実践していたので、殆ど問題なかった。
その方法とは、料理をしながら洗い物も同時進行でやっちゃう、というものである。
すなわち、包丁で何かを切って、それをフライパンに入れたら、炒める傍らで、使った包丁とまな板を洗ってしまう。料理が完成してフライパンから皿に料理を移したら、フライパンを即座に洗ってしまう。このように使ったものはその都度すぐに洗うようにすると、料理が全部出来たときにも、流しには洗い物が一つも残っていない状態になるのである。
こうして食事前に流しを空にしておくと、食べ終わった後で食器を流しに運んで洗う時、心理的にすごく楽なのである。
要は、何でも嫌なことはため込むとやる気がしなくなるから、そうならないようにするということか。
このように食事関係は順調にいくようになったのだが、難儀だったのは洗濯であった。
洗うのは全自動洗濯機があるので、スイッチ一つで事足りるのであるが、それを皺にならないように干したり、取り込んでアイロンかけたり畳んだり、という一連の作業がどうにも楽しくないのである。
アイロンかけは今までにほとんどやったことがなかった。しかしだんだんとコツをつかみ、皺がきれいに伸ばせるようになっていった。……が、やっぱり楽しくなかった。
一つには心のどこかで「皺なんか多少あったって別にいいじゃん」という気持ちがあったのだと思う。あんまりヨレヨレにくたびれていれば問題だけど、毎度毎度糊がパリッときいたシャツを着ていなくてもいいのではないか、要は清潔感が出せればそれでいいのではないか、と思っていたのである(この考えは今も変わらない)。
加えて、平日は洗濯が出来ないため、週末にまとめてやることになるのだが、週末は同時に、病院あるいは実家にカミさんと生まれた子供の顔を見に行かなければならなかったのである。そのため、その残りの限られた時間内でやらなければならないからなおのこと苦痛なのであった。
そこで、思い切った改革を断行した。
まず、ワイシャツは当時出始めた「携帯安定加工」のものをまとめて買い込んできた。これは洗って干す時に、しっかり皺を伸ばした状態でハンガーにかけて干せば、殆どアイロンをかけなくても大丈夫なくらいにきれいに乾いてくれた。そして、これを畳まずにそのままハンガーにかけた状態で部屋の中にぶら下げておく。
ズボンは携帯安定ズボンがないので、さすがにこれはアイロンをかけなければならないが、これとてもハンガーにかけてつるしておくのである。
ワイシャツにしてもズボンにしても、こうしたかけておく方が、畳んで箪笥にしまうよりはよっぽど皺にならないのだ。
いちいち箪笥にしまっても、どうせまたすぐに出すのだから、そこの行程を省略したのである。
ついでに下着類や靴下も箪笥にしまうのをやめてしまった。
部屋の隅にキレイに畳んで積み重ねておくのである。そして洗い終わったものを一番上に乗せる。使うときは一番下から引き抜く。こうすれば、ちゃんとしたローテーションで使えるというわけだ。いちいち箪笥にしまって、その都度下から引っ掻き回すよりははるかに合理的ではないか!
こうして、流しは常にキレイで、部屋にはハンガーに吊るされたシャツとズボンが整然と並び、隅には清潔な下着類がきちんと揃えられている、という誠に美しく片付いた一人暮らしを送ることが出来るようになったのである。
それまでに多くの独身男性の散らかりまくった部屋をさんざん見てきたが、それに比べると自分はすごくよくやっているではないか、と胸を張りたい気分であった。
ところが……。
仕事で留守中に、カミさんの父親(つまり義父)がカミさんの荷物か何かを取りに来たらしいのだが、部屋を見るなり「だらしがない!」と憤慨して帰ってきたということを後にカミさんから電話で聞いて暗然とした。
「え、なんでこんなにきちんとやってるのに……」と何ともやりきれない思いだったが、もともと義父は料理などしないから流しなど見ないし、几帳面な上に本業が呉服屋なので、衣類が出しっぱなしになっているということが、もうそれだけで耐えがたく許しがたい光景だったらしい。
いつの世も、非凡な発想なり才能なりというものは、なかなか世間から受け入れられないものなのだな、ということを実感として知ったような気がする。