これからの十年

 今年の新年は、年賀状を出しても例年になく返事が来ない年であった。

 おそらくは、一昨年父親が他界して年賀状を書かなかったため、その時点で多くの人から「もう出さなくていい人」として住所録からはずされてしまったものと思われる。欠礼通知は出していたものの、概してあれは文面も見た目も地味で(当たり前だ)見逃したり忘れてしまったりしがちなので(自分にも経験がある!)、ちと寂しいがそれはそれで仕方があるまい。

 

 誕生日が来て、45歳になった。

 実は、「45歳」というのは、ずっと以前から「節目」として考えていた年齢なのである。

 今からちょうど十年前、ある作家の生き方にとても共感を覚えた。

 その人は週に三回のプール通いで体力を維持し、古い外車に乗り、旅を楽しみ、自然を慈しみ、桜の花をめで、酒を愛し、ささやかな日常を前向きに生きていく。そんな人物であった。

 自分ももっと年をとった時に、あんなライフ・スタイルでいられたら、とその作家に強く憧れた。

 その作家が当時45歳だったのである。だから、自分も後10年かけてあんな生き方に近づいていきたい、あんな大人になりたい。少なくともそれに向けて努力するよう心がけよう、と自分なりに誓ったのである。

 一つには、そんな風に目標を決め、期限を設けなければ、ただいたずらに人生をだらだらと浪費して馬齢を重ねてしまうだろう、という予感もあった。

 

 さて、あれから十年。もちろんそれなりに努力はしてきた。だが、思い描いた通りに歩めないのは人生の常である。様々な障壁や挫折が重なり、こうして実際に45歳になった今、結局理想とは程遠い存在にしかなれなかった。そのことを今痛切に感じている。軽いめまいすら感じるほどに。

 だが、人生の時間を逆戻りさせることは出来ない。とりあえず、辿り着くべき地点には辿り着いてしまったのだ。

 さて、問題は今後である。

 これから先の残りの人生において、今度はどんなことを目標として生きていけばいいのか?

 

 最近、夜中に目覚めて、それからずっと眠れなくなることが続いている。心がくたびれているのであろう。そんな時には暗闇の中を様々な悩みが去来するのだが、その一つが、この「これからどう生きたらいいのか」という問題だった。

 暗い天井をじっと見つめていたその時に、ふと思い浮かんだのは「諦める」ということだった。そう言えば「聖諦」なんていう言葉もあったな。

 聞くところによると、職安では44歳までが「中齢者」、45歳から上は「高齢者」の扱いになるのだそうだ。なんと、もう我が身は「高齢者」なのである! がーん。世間の認知としては、もはや何か新しいことなど出来る年齢ではなくなってしまったらしいのである。

 思えば、死ぬまでに納得のいくようないい文章・作品を一つくらいは書きたい、とずっと願っていたのだが、45歳の今日まで書けなかったということは、結局才能がなかったということであって、これから先も絶対に書けないということであろう。もはや諦めるしかないのである。

 ビデオテープのDVD化やカセットやレコードのCD化等、アナログのデジタル化もずっと取り組んできているのだが、その割には作業がなかなか進まず(量が膨大過ぎて)、最近は「果たして全部終わるのだろうか」と悩んでいたのだが、これとても諦めてしまえばすむことなのだ。

 

 色々なことを諦めよう。我が身を円の中心と考えた時に、一番大切なものから順に円周上に位置を確認していった時、中心から離れているものから順に諦めていく。それしかない。

 年賀状が来なくなり、かつて親しかった人達と段々と疎遠になっていくことも、諦めるべきことなのだ。

 離れていく人を諦めよう。自分が忘れ去られることを諦めよう。

 体が少しずつ衰えることも。気力が徐々に失せていくことも。

 あらゆることが失われていくことを諦めよう。

 執着しても仕方がない。どうせ死ぬ時には身一つで、すべてのものをこの世に置き去りにしていくことになるのだ。

 だったら、未練にならぬよう、今から少しずつ身軽になっていくべきなのだ。

 

 「Dont give up」から「Give every things up」へ。歴史的転換。

 これからの10年は、今までと全く違った10年、ということになるのかもしれない。

 

  つれづれ随想録トップへ戻る  管理人室へ戻る  トップページへ戻る