オヤジ団体旅行の終焉

 昨年末に知人と熱海の温泉に旅行に行った。

 食事がブッフェ・スタイルの食べ放題・飲み放題で、料金は一万円ポッキリの格安パックだ。

 料金が料金なだけに、内容はあまり期待していなかったのだが、これが実は当たりだった。三人で予約したのだが、通されたのは五〜六人でも泊まれるほどの広々とした六階の部屋で、窓からは日本庭園が見渡せる眺望。大きなホテルだったので風呂が何と三箇所もあり、屋上の展望露天風呂は熱海の海が一望できる絶景。食事はさすがに高級食材こそ使ってはいないものの、和洋中かなりの種類の料理が用意されており、どれも味はけっこういいのだ。しかも、飲み放題のビールは何とあの「モルツ・スーパープレミアム」である!

 なんともお得なツアーだった訳だが、これはやはり場所が「熱海」だったからであろう。

 かつての温泉歓楽街・熱海は今や廃れる一方なのだ。

 だからこのような格安のツアーを組んで、少しでも客を集めようとしているのである。

 実は四年前にも熱海の地を訪れたことがあるのだが、その時に比べても、今回明らかにさびれ方は進行していた。

 メインストリートを歩いても、シャッターが下りたままの商店が多く、建物の至るところが空き店舗となっていたのである。そのため、かつては「100万ドルの夜景」と称していた町並みが、夜になっても明かりが点されない暗闇ばかりの悲惨な光景へと変貌を遂げてしまっていた。

 

 こうなった原因として、かつての熱海を潤していた客層である中年男性中心の団体旅行――つまりは「オヤジ団体旅行」が時代とともに廃れてしまったことを指摘する声は多い。つまり熱海は集客を「オヤジ団体旅行」のスタイルにばかり合わせすぎていたため、だんだんと女性や若者に見放されてしまったという訳である。

 「オヤジ団体旅行」とは何か? 明確な定義がある訳ではないが、概ね以下のようなパターンのものではないかと思う。

 せっかくなのでちょっと定型詩風にまとめてみよう。

 

 今日は楽しい 温泉旅行

 目指すは熱海だ 貫一お宮

 列車動けば それ酒盛だ

 ビール水割り ワンカップ酒

 さきいか柿ピー 袋を開けて

 飲めや騒げや いざ楽しまん

 

 宿に着いたら 部屋割りは

 適当バラバラ 勝手に入る

「どうせ寝ない」と 誰かが笑う

 まずはテレビだ ニュースか野球

 次はみんなで さあ浴衣着て

 風呂だ風呂だと 揃って移動

 

 湯から上がれば 冷蔵庫開け

 湯上りビールに 「まむし」もあるぞ

 宴会時間だ 広間に向かえ

 刺身に天ぷら ナベ茶碗蒸し

 量で勝負の 料理が並ぶ

 飲めや歌えや 踊れやわめけ

 

 部屋に引き上げ 敷かれた布団

 邪魔だとばかり 押しのけ座り

 更に飲む者 マージャンの者

 下駄を鳴らして 外に行く者

 スナックラーメン ストリップ小屋

 

 夜が更けるまで 呑み呑み呑んで

 起きた時には フラフラ頭

 それでも朝の メシ食いながら

 ビール栓空け 迎える酒よ

 帰路の車内は ただただ眠る

 

 以上のような団体旅行は、以前は社員旅行等、日本社会の至るところで見られたのではなかろうか。しかし、書いていて思ったのだが、どう考えても発想が中年男性中心である。女性や若い年代にとってはどうなんだろうか。なにしろ「観光」「見所」が殆どなく、ただひたすら飲みまくっているだけなのだから。

 

 二十年ほど前の、自分がまだ若かりし頃の勤務先に、この手の職員団体旅行が存在した。

 しかし、俺が初めて参加したその年、何故か殆ど女性職員が参加しなかったのである。訝って同僚に尋ねたところ、前の年に酔った管理職が女性職員を次々に呼んでは延々と説教を垂れたそうである。それで皆嫌気がさしてしまったらしい。なんてことをしてくれるんだろうね。

 日本社会の中で個人主義の傾向が強くなるに従い、このような団体旅行に無理に付き合うことはないという意識が、若い世代を中心に徐々に芽生えていったことは想像に難くない。

 いや、若者に限らない。今現在の自分にとっても、この手の旅行はちょっと遠慮したい気持ちがある。年を重ねただけに逆にこういう団体行動がしんどく思えるようになったのだ。適当に酔っ払ったら後は暖かい布団でぐっすり眠ってしまいたい、と軟弱に思う今日この頃なのである。

 

 このようなオヤジ団体旅行のスタイルは、おそらくは俺よりも上の年代、いわゆる団塊の世代が中心となって築き上げてきたのではなかろうか。彼らは皆、人生の大半を仕事に費やしてきた世代である。だから、せめて旅行くらいはたくさん楽しまなければ――イコール寝る間を惜しんででも大いに飲みかつ羽目をはずさなければ、という意識が強かったのかもしれない。

 また、あるいは彼ら世代にとって旅行はあくまで仕事の延長だったのかもしれない。

 確かに、旅行の行程を通じて、職場の人間がずっと顔を付き合わせ延々と飲み交わし、また本音をぶつけあうことによって、人間関係を円滑にしてきた部分というのは、自分にもかつての職場の経験から実感としてわかる部分はある。

 日本社会に於いて、まだ「職場」というのがある種の共同体のような働きをしていた時代において、オヤジ団体旅行はその潤滑油としての役目を担っていたのであろう。

 

 だが、時代は変わり、団塊の世代が定年を迎えるようになりつつある今、もはやその役目は終わったのかもしれない。

 凋落する熱海の町を見る限り、そのことを実感せざるを得ない。

 団塊の世代を慰労し、働く活力を与えてきたであろう「オヤジ団体旅行」。

 日本の高度成長期を引っ張ってきた影の功労者である「オヤジ団体旅行」。

 今、万感の思いをこめて言おう。

 「ありがとう」そして「さようなら」と。

 

  つれづれ随想録トップへ戻る  管理人室へ戻る  トップページへ戻る