空虚なる言葉
別項でも書いたけれども、朝はいつもラジオで目を覚ましている。
ラジオの音声によって、徐々に頭を覚醒させていき、その後の時計のアラームによって比較的抵抗なく目を覚ますことができるのだ。
ところで、最初はボーっとして何も判断できない頭も、少しずつ半覚醒のウトウト状態に移行するのだが、そうなると、ラジオでしゃべっていることもだんだん理解できるようになっていく。だからそういうタイミングで、ニュースのダイジェスト版や天気予報が流れると、その日一日の情報収集にもなって重宝である。
さて、その日も天気予報をラジオの女性パーソナリティーがしゃべっていたのだが、「雨で気温が26度〜27度位になる」と言う。更に続けて、「注意していただきたいんですが、前日より気温がグッと下がりますので、きっと肌寒く感じると思います。ですから、お出かけの際は必ず上に羽織るものを持って行った方が良いでしょう」とのアドバイスをしてくれた。思えば前日は30度を軽く越す真夏並みの猛暑だったのだ。
「そうかそうか」と納得し、それまでは暑くて汗をかいた時のための下着等の着替えを毎朝持って出勤していたのだが、その日は持たずに家を出たのである。
ところが、玄関を一歩出たときから、どういう訳かムワンとする。空気が重く湿って肌にからみついてくる感じで、全然涼しくないのだ。
「おかしいな」と思いつつも、一応、予報を信じてそのまま仕事場に向かった。
勤務先までは、バスと電車を乗り継いだ後に、更に20分近く歩かなければならない。
その長いみちのりを歩いていると、汗がダラダラと流れ出てきた。どうも湿度が高い上に気温も決して低いとは思えないのだ。
結局職場に辿り着いた時には汗だくになってしまっていた。
だが、ラジオのパーソナリティーの言うことを信じたばかりに着替えは持ってきていない。よってベトベト状態のまま我慢するしかない。トホホ。
実はもともとその女性パーソナリティーにはあまり好感を持っていなかった。
何故なら、その人は毎朝ニュースに関連して何がしかの自分の見識や見解を述べるのであるが、その言葉が、いつもウトウト頭の中をすんなりと通過していってくれず、あっちこっちにぶつかっては、妙な引っかかりを残していくのである。それがどうしてなのか、今までは正直うまくわからなかった。
さて、その雨の日は、実は9月11日、つまり米国の同時多発テロが発生した日であった。あれからちょうど5年も経ったのである。
朝のラジオで当然のごとく彼女はその話題に触れた。そして、例によって所謂「9・11」に関しての自分の見解を述べた。しかも、更にはその自分の意見をさる著名な文化人に話したところ、「『そういう視点を持ち続けることは大事なことだ』とおっしゃっていました」とまで言ったのである。
「ぬおおっ」と俺はのけぞった。いや、まだ布団の中で横になっている状態だから、のけぞるのは無理だったか。しかし気分は完全にエビゾリだったのだ。
だってそうでしょ。自分の意見をひけらかすだけではなく、しかもそれが文化人によって評価されたことまで話すということは、何気に自慢と権威づけを同時にやっているということである。なんともハズカシイ話ではないか。繰り返すがあくまでも彼女はその番組の進行役であって、メインのゲストではないのだ。
そして、その文化人が評価したらしい彼女の「見識」というものも、俺にはどこか表面的で深みの欠けたものにしか感じられなかった。そのパーソナリティーは著作も何冊かあるというインテリであるらしいのだが、ネボケウスラ頭はそう感じてしまったのだから仕方がない。
職場で扇風機にかじりつきながら、ひたすら汗が乾くのを待つ間、そんなふうに今朝のラジオ放送の内容を振り返っていたのだが、そのうちに突然俺は理解した。
そうだったのだ。あの番組は生放送なのだから、あのアナウンスをした時、彼女は当然スタジオの中にいたのだ。そして当然のことながらスタジオ内は雑音が入らないように密室であるはずだし、そうなれば当然エアコンが入っていることにもなる。
つまり、件の女性パーソナリティーは外気を肌で感じることなく、単に手渡された数字だけを見てあの台詞を述べたことになる。それ故その時点で既に蒸し暑くなっていたにもかかわらず、あのようなピントはずれのコメントを述べたのであろう。
インターネット等、通信手段の発達によって我々は手軽に多くの情報を手にすることができるようになった。一歩も外出せずとも世界中の情報を入手することが可能なのである。
しかし、そのようにして数値なり画像なりの資料を手に入れたからといって、そのことを「知った」ことにはならないのだ。それは全体像のほんの一部分に「触れた」に過ぎないのである。だからそのような安易な方法で入手した資料だけをもとに思考を組み立てたとしても、それは実態から離れた空虚な観念論になる可能性が高い。
パーソナリティーというのは、なまじ多くの情報に接しそれを次々に効率よく処理していく職業なだけに、かえって「知っている」という錯誤に陥りやすいのかもしれない。彼女の述べる見解を聞いていつもスッキリしない気分にとらわれていたのはそれが理由だったのだと思う。
と、ここまで考えてきて、ハタと思った。ラジオの天気予報を信じて着替えの準備を怠った、ということは、俺も「安易な情報」を盲信したオロカモノということではないか。うひゃ! 赤面。人のことをえらそうに言える立場ではなかったのである。
反省。今後はラジオの提供する天気情報がどうあれ、ベランダに一歩出て直接自分の肌で天候を確かめよう。わずかな労力で自分で出来ることなのだから、そういうことを人任せにしてはいけなかったんだよな。