失業していた頃
友人が20年勤めた会社を解雇された。現在職安通いで求職中なのだが、景気回復とはいえまだまだ求人数は少ないらしく、大変な日々を送っているようである。
失業中のつらい心中は、ある程度察しはつく。俺にも経験があるからだ。
大学卒業後、最初に勤めた会社は業績がさっぱり上がらず、会社存続の危機も噂されるような状況だったので、このままでは展望がないと思って退職した。
大学時代に教員免許状を取っていたので、「ひとつ教員採用試験を受けて教職を目指してみるか」というのが立てたプランだった。しかし退職から試験までの時間があまりなく、勉強も不十分だったため、あっさり試験は不合格となってしまった。
晴れて「失業者」となってしまった訳である。
当時は現在のように「フリーター」なる便利な言葉は存在しなかった。アルバイトをやっていても正社員でない以上は「失業者」なのである。あるいはちょっと揶揄した言葉で「プータロウ」などという言い方もあった。
いずれにしても「フリーター」が市民権を得るずっと前は、正社員以外の人間はどこまでいっても「無職」であって、世間の人間が向ける目はあくまでも厳しくかつ冷たかったのである。
いつまでも無職のままという訳にはいかないので、今後のプランを軌道修正しなければならなかった。
一つには一年待ってもう一度教員採用試験を受ける、というのがあった。乗りかかった船であるし、多少は意地もあった。しかし、実は大学在学中にも教員採用試験を一度受けているのだが、その時も不合格になっているので、「ダメなんじゃないか」感は強かった。
また一方で、全然違う方向での職を探す、ということも考えてもみた。
色々な可能性や条件を考えた。人と相談したり助言を受けたりして、とにかくじっくりと考え続けた(時間だけはいっぱいあった)。
そして、結局試験に再チャレンジすることを決意した。
しかし、一年間何もせずに受験勉強だけをしている、という訳にもいかないので、仕事は探さなければならない。一番いいのは学校の臨時採用の講師になることだった。講師だったらフルタイムの勤務ではないから時間的にゆとりがあるし、やっていることも直接試験に役立つ仕事だ。実際そのようにして講師をやりながら勉強して再チャレンジして合格した友人も身近にいた。
ただ、問題は学校の講師のクチというのはなかなか見つからない、ということだ。
職業安定所に通い始めた。
これまた現在のように「ハローワーク」などという洒落た名前はついておらず、あくまでも「職安」は「職安」であった。
職安に行くのは一つには失業保険金をもらうためであるが、もう一つには学校の講師がみつからなければ、予備校や塾への就職、という方面も考えなければならず、そのような仕事先があるかを探すためでもあった。
ところで、この職安で高校時代の友人と思わぬ再会をすることとなった。
名前をS君と言い、やはり失業中で職探しに来ていたところにバッタリと出会ったのである。
意外なところでの再会であるが、実はS君とはそれより遡ること二年半前にも一度会っていた。場所は区民会館。そう、成人式でである!
その時にはお互いに背広を着て、晴れの場での邂逅であった。その日はいい天気で、未来への希望とやる気に満ちてあふれている我々新成人を祝福するように、明るい陽光が燦々と地に降りそそいでいた。
……それがわずかにその二年半後には、なんと「職安」で再会することになろうとは!
「ものすごい落差だなぁ」
「いや、本当に」
と言って笑いあった。高校時代から笑顔の似合うS君であったが、やはりどこか力のない笑いであった。たぶんオレの方もそうだっただろうと思う。