「幻の銘酒」を飲む

 正月にカミさんの実家に行き、そこで「越の寒梅」の本醸造酒をごちそうになった。

 「幻の銘酒」と呼ばれたこの酒の存在を知ったのは、酒を飲み始めて間もない20代の初めの頃であった。

 「そんなにうまいと評判の酒なら是非飲んでみたい」と思ったものの、普通の酒屋で売っていることは絶無だった。ようやくデパートで見つけたものの、その値段と販売方法にガクゼンとした。なんと、本命の越の寒梅の他に聞いたこともない酒が二本ついて、セットで一万円以上もするではないか。なんぼウマい酒であっても、これではちょっと買う気がしない。もともと日本酒そのものも、当時まだそんなに好きではなかったので、幻の酒は、幻のままということになった。

 

 その後職場で日本酒のことに詳しい同僚と知り合いになったりして、さまざまな日本酒の存在を知った。日本酒にも旨い酒がたくさんあることを知り、けっこう日本酒も飲むようになった。ただし、吟醸酒や生酒、オリ酒など、いい酒ばかりを当時は飲んでいた。まだ独身だったしね。

 さて、そのようにして日本酒を飲むようになって間もない頃、偶然にも「越の寒梅」を一杯だけ飲む機会に恵まれた。

 長年の思いがやっと叶う、とかなりの期待のもとに口にしたのだが、正直それほど旨いとは思えなかった。「幻の銘酒」というのはこの程度か、という落胆の方が大きかった。マス・メディアでは無名でも、普段飲んでいる酒の方がはるかに美味しく思えた。周囲にも、日本酒通の同僚はじめ所謂日本酒にうるさい人で「越の寒梅」のことをよく言う人はいなかった。

 

 やがて転機が訪れる。と言っても、結婚して自由に使えるお金の額が激減したというだけなのだが(笑)。

 晩酌にいい酒ばかり、という訳にもいかなくなった。そこで近所の酒屋で普通酒を買ったりするようになった。ところで、実はそれと同時に、あれほど手の届かなかった「越の寒梅」、あるいは「八海山」などの銘酒も口にできるようになった。

 カミさんの両親が新潟の人なので、こういった日本酒も割に手に入りやすく、それらを分けてくれることがあったのだ。

 おかげで、改めてじっくりと飲み比べてみると、この酒も悪くはないのだな、ということがわかってきた。淡白ですっきりした辛口を目指したという点で、少なくとも他の同クラス(この場合は普通酒)の日本酒と比べて勝っても劣ることはないと思う。

 

 「越の寒梅」も「八海山」も、――最近では「久保田」もか――、要はマス・メディアにふりまわされた酒なのであろう。

 マス・メディアで褒め上げられると、ワッとそれに人が群がり、品薄になって業者が価格を吊り上げる。困ったことに値段が高いとかえってありがたがる人達がいて、そういう人達がさらにそれらを買い続ける。

 一方で今度はそういった現象に対する反発からか、これらの酒のことを極端に悪く言う人が出てくる……。

 こういったブランド銘酒がもともとすごく旨かったり不味かったりという特別な酒だった訳ではない。要は他にもっと安くて美味しい酒が存在するという事実があるだけだ。

 

 ただ、そういった事実は、多くの人に知って欲しくもあるし知って欲しくもない。

 愛飲している美味しい酒がマス・メディアで取り上げられてまたぞろ同じ運命を辿られては困るし、かといってワリカンで飲んでる時に一杯1000円もする「久保田」を頼む人がいて辟易させられる、という現状にも困ったもんだし。また、美味しい酒もある程度売れてくれないと蔵元がやっていけないし、かといって売れすぎて手に入りにくくなるとオレの飲む分がなくなっちゃうし……

 

 そんな馬鹿なジレンマを抱きつつ、正月にしみじみと「幻の銘酒」を口にし続けたのであった。

 

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