「ちょいワル親父」って何?

 テレビは格闘技と料理番組くらいしか見ないので、流行り言葉には疎い。

 流行語というのは、どちらかというと巷間で多く使われて広まっていく、というよりは、メディアによって伝播されて流布していくものだから、俺のようにテレビも雑誌もあんまり熱心に見ないと、この手の言葉とはあまり縁がない。

 

 ちょっと前にテレビを見ていて「ちょいワル親父」なる言葉を耳にした。「ちょいワル親父」を番組で募集しているのだとか。

 なんだかヘンテコな言葉なので、俺と違ってしょっちゅうテレビを見ているカミさんにその意味を聞いてみると、

「ちょっと悪い親父のことなんじゃないかな」と、そのまんまの返事。

「ちょっと悪い、というと、道にゴミを投げ捨てたり、禁煙場所でタバコを吸ったり、降りる人より先に電車に乗り込むようなヤツのことか?」

「それじゃ、『ちょいワル』じゃなくて本当に悪い人だよ」などと言う。

 もっと軽度の「ワル」というと、赤信号で横断歩道を渡る、立小便、レンタルビデオの不正ダビング等々が思い浮かぶが、それらも違うと言う。では、どういうものが「ちょいワル」なのかと問うても、カミさんからは明確な返事がかえってこない。彼女もよくわかっているわけではないのだ。

 結局、なんだかすっきりしないままその言葉だけが印象に残って終わった。

 

 その後も「ちょいワル親父」という言葉はちょくちょく耳にするようになり、それがどうもファッションの一部と結びついた言葉であるらしいことがわかってきた。雑誌で「ちょいワル着こなし術」なる特集なんかがあることを知ったのである。

 おしゃれのスタイルの一つ、という意味で使われているらしいのかもしれないが、やはり釈然としない。どうも違和感をおぼえるのだ。

 だってそうでしょ。

 その手の特集の記事と言えば、「これはダメ! オヤジファッション」と大きな見出しをつけて、やれランニングシューズはいかんだの、だぶついたシャツはダメだの、パンツ(間違っても「ズボン」などとは言わない)の裾をだぶつかせるのは不可だのと、禁止事項をずらりと並べ、「これで決めろ!」と一押しブランドを紹介、色から組み合わせまでをこと細かに指示。その記事の通りの格好にすればおしゃれで、その記事で否定された格好はダサい、というイメージを強烈に刷り込むような内容を定番としているのだ。

 まあ流行が移り変わってくれないと服飾業界だって困るわけだから、そういう記事が毎年のように刷新されて特集が組まれるのは仕方がない(昨日の「おしゃれ」は今日の「ダサい」!)。

 しかし問題なのは「ちょいワル」という言葉なのだ。

 「ワル」というのはルールやモラルを逸脱・拒否して、ペナルティやマイナスを負ってでも自身のあり方に忠実であろうとするから「ワル」たりうるのである。

 ファッション雑誌の特集記事をせっせと読み、そこに書かれたデザイナーやスタイリストの訓示に熱心に耳を傾け、そのマニュアル通りにあてはまろうとする。それはもはや「ワル」の姿勢ではない。それどころか教科書に忠実な「優等生」ですらある。何が「ちょいワル」なもんか!

 それにしても、流行のためなら「ワル」「不良」までをもブランド化して、大衆好みのファッションにしてしまう。マス・メディアというのはつくづくしたたかだなぁ、と思っていたら……。

 

 先日、同年代の友人に久しぶりに会う機会があって、色々と近況などを話し合っていたら、彼が、

「いやぁ、最近はあっちこっち体の調子が悪くってさぁ」と言う。

「まったくだよ、若い時と違って、痛みがなかなかとれてくれないんだよな。」と同意すると、

「そうそう。あちらこちらがちょっとずつ悪くって、まさに『ちょいワル親父』だよ。」

「ええっ!?」

 なんと、「ちょいワル親父」にはそんな使い方もあったのか!?

 悪いことをしない「ちょいワル親父」。教科書に忠実な「ちょいワル親父」。体があちこち悪い「ちょいワル親父」。頭のちょっと弱い「ちょいワル親父」。

……もう何がなんだか訳がわからん。

 

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