ペーパー運転手の弁明

 先々月に免許を書き換えた。無事故無違反の証・ゴールド免許だ。

 もっとも殆ど車に乗っていないペーパードライバー状況なので、当たり前と言えば当たり前、不正とさえ言ってもいいかもしれない。

 最後に運転したのが2004年の沖縄旅行の時だから、かれこれ一年半もハンドルを握っていないことになる。

 

 先日、地方から友人が東京に来た際、一緒に警察博物館に行ったのだが、そこに運転シミュレーションマシンがあって、それを体験してみた。

 友人は毎日のように運転をしており、かつ本物の(?)ゴールド免許も所有している。彼は自分がまず上級コースをやってみせた。そして、次に俺にもやってみるよう促す。

「君だったらきっと何人もはねると思うよ」などと、彼は俺のペーパー状態を知っているので、不敵に笑っている。

 さて、同じように上級コースを選んで運転したら、何と、友人の時にはなかった雪まで降ってきた。視界も悪くなり、ちゃんとブレーキも利かなくなるのである。よくできてるなぁ!

 だが、ある程度感覚がつかめれば、後は普通に運転することができて、友人の期待を裏切り、一人の犠牲者も出さずに各項目でAをもらって合格終了した。友人は実に悔しそうであった。ははは。

 

 結局、若い時に体で覚えたことはそう簡単には忘れない、ということか。

 俺が車の運転を実践的に覚えたのは、主として最初に勤めた出版社でだった。その会社は教材を売る会社だったため、重い教材見本を車に積んで営業に行かなければならないのである。

 しかし、当時運転免許取立てであった自分には、都内近郊を縦横無尽に走り回っては、しばしば路上駐車しなければならないこの営業の運転はかなり辛かった。

 初心者マークを貼って運転しているからなのか、他の車がやたら高圧的なのが一番の悩みだった。

 とにかく、車線変更しようとしても入れてくれず、制限速度を守っていると後ろにぴったり張り付かれたり強引に抜かれたりする。

 いつだったか、出張か何かで曲がり道が多い山道で雨が土砂降りになった時のことである。教習所で教わったように(ハイドロプレーニング現象!)制動距離を考えて速度を落として走っていたところ、後ろにぴったり付かれただけではなく、パッシングまでされたのにはまいった。注意して見ても、どの車も豪雨なのに全く速度を落としていなかった。何でやねん!

 

 さて、そんなふうにビクビクと運転していたのだが、とうとう事故を起こしてしまった。

 一方通行を走っていたら、前から車がバックで逆走してきたのである。おそらく道を間違えでもしたのであろう。

 道幅は狭く、そのままではすれ違うことはできない。ただ、もう少し下がれば道幅が膨らんでいる場所があった。「まいったなぁ」と思いつつ、もっとも苦手とするバックで恐る恐る車を後退させた。道幅の広いところへよけるように車を進め、なんとかなったかな、と油断した瞬間、「ガツッ」という嫌な音がした。あわてて車から降りて確認すると、バックミラーから見えなかった位置にコンクリートのでっぱりがあり、そこに車の後方下部が乗り上げてぶつかってしまっていたのだった。

「ああっ」。呆然とする俺をお構いなしに、バックしてきた車は、そのままバックで走り去って行った。

 車を偏愛する社長からはこの件で大目玉を食った。確かに誰が悪いわけでもなく、全面的に自分が悪いのである。だが、どうも釈然としない。

 

 車を使っての営業を繰り返すうちに、だんだんと車の運転というものが理解できていった。

 それは、単に技術的な問題だけではなかったのだった。道路にはそれこそ初心者からプロのドライバーまでが混在している。だから、それらが共存できるような妥協点を模索していくしかないのである。つまりは自分の運転の力量に応じてケース・バイ・ケースでうまく立ち回ればいい、それだけのことなのである。

 よって、ビクビクし過ぎてはいけないし、かといって威張っていてもいけない。時に周囲にあわせることも大事だし、時に自己主張することも大事だ。

 なんのことはない。つまりは自動車の運転も、広い意味で人間関係のあり方の延長なのではないか、ということに思い至ったのである。

 事故を起こしたあの時も、バックで下がっていく自信がなかったのだったら、最初から気を遣って無理に下がったりせず、逆にクラクションでも鳴らしておけばよかったのだ。なにしろ交通ルール上はこちらに非はないのだから。

 

 ただ、通常の人間関係と同じということは、ずうずうしいヤツ、わがままなヤツ、自分勝手なヤツといった、他人に迷惑をかけてなんとも思わないヤツが大きな顔をしている、という点でも世間とまた共通ということでもある。

 よって、もともと人付き合いが得意ではない俺は、仕事以外でまでそんな煩わしい人間関係に首を突っ込みたくない、という軟弱なことを考えているので、ついつい車の運転から疎遠になりがちなってしまうのであった。

 

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