最強の目覚まし装置

 まただ。また同じような夢を見た。

 年に数回、同じようなパターンの悪夢を見る。それがすっかり習慣化してもう何年も経つ。

 その夢というのは、寝坊する夢である。

 目が覚めて時計を見ると、とんでもない時間なのだ。当然のことながらもうとっくに仕事が始まっている時刻であり、つまりは自分は無断欠勤しているという訳なのだ。

 ガクゼンとしてあわてて準備をしてでかけようとするのだが、なによりもまず職場に連絡をせねばならない。

「どのような言い訳をしようか……」と考えるが、連絡もせずに遅刻したことを誤魔化せるようなうまい言い訳などそうそうあるものではない。「まいったなぁ」と暗い気持ちになって途方にくれているうちに目を覚ます、というパターンだ。

 夢でよかった、とつくづくホッとして、「ああ、また同じ夢をみてしまったようだな」と思い当たるのである。

 

 子供の頃から早起きは苦手だった。

 まだ小さくて親に起こしてもらっているうちは良かったが、やがて自分の部屋で寝るようになると、自力で起きなければならず、これには本当に苦労した。

 最初はオーソドックスに目覚まし時計をセットして、これで起きようとしてみた。だが、目覚まし時計は、鳴るとすぐに止めてしまうらしいのである。そのため寝坊ばかりを繰り返すハメになった。「らしい」と書いたのは、無意識のうちにそれをやっているからだ。遅く目が覚めて「アッチャー」となって目覚まし時計を見てみると、しっかりベルの停止ボタンが押されている。「いったい誰が」と考えても、自分以外にいるはずがない。無意識の「もう一人の自分」が独断で勝手に止めてしまうのだ。「やめろよな」と思っても、自分なんだからどうしようもない。

 目覚まし時計の数を増やしてみたが、結果は一緒だった。

 そこで、ベルを止めるボタンを簡単に押せないように、セロテープを巻きつけて固定してみた。

 確かにこの方法だとベルが止まらないので、その点ではベルは鳴りっぱなしで良かったのだが、今度は止めたくても止まらないベルに難儀することになった。ぐるぐる巻きのセロテープは簡単にははがれてくれず、仕方がないのでその都度目覚まし時刻設定用の針の方を動かして鳴らないようにすることになった。だが、これだと後でとんでない時間にベルが鳴ってしまうことになる。

 しかも、この「止め方」を覚えてしまったことによって、やはり朝ベルが鳴ったときに、「もう一人の自分」が無意識に針を動かしてベルを止めてしまうようになったのである。考えてみりゃあ同じ「自分」だから知恵も一緒だもんなぁ。こうなると停止ボタンを固定している意味は全くなくなり、この方法は廃止した。

 

「いきなりベルで強引に起きようとするからいけないのだ」そう考えて、音楽を流す方法も考えてみた。まず最初に早めの時間に音楽を流して心地よく目が覚めていき、起きなければいけない時刻になったら今度は目覚ましがなる、という方法である。

 この方法はそれなりに効果があったのだが、それでもうまくいかないことが度々あった。

 一つには音楽が流れている時間が短い、ということがある。当時はまだMDはおろかCDすらなく、音源と言えばレコードかカセットテープが一般的だった。だが、当時所持していたカセットデッキは電源オンで再生する機能がついていなかったため、選択肢はレコードしかなかった。当時のポップス系のアルバムの片面は大抵20数分。ちょいとウトウト目が覚めてくるものの、目覚ましが鳴ったのを例によって「もう一人の自分」がベルを即停止させてしまうと、そのまま音楽も終わってしまい、結局はまた起きられずじまい、ということが繰り返しあったのだ。

 更なる作戦を考えなければならなかった。

 

 とにかく、無意識の「もう一人の自分」がベルを止められないようにするしかない。

「目覚まし時計を止めらないように、手の方を固定しては?」そんなことも考えてみた。

 そしてそれを本当に実行してみた(若かったなぁ!)。

 ロープを両手首にそれぞれしっかり巻きつけ、別のロープをそこに通してその端をドアで挟んで、いくら手を引っ張っても枕もとの目覚まし時計にまで手が届かないようにしたのである。

 こうすれば目覚まし時計を止めることは不可能である。どうしても止めたければ、起きてドアのところまで行ってロープをはずすしかない。アイディアとしては悪くはなかった(?)。

 だが、この方法には大きな欠点があった。

 寝苦しいのである。とにかくロープが気になってなかなか寝付けない。また、眠りに入っても寝返りを打つたびに目が覚めてしまう。おまけにそういう時に限って顔がカユくなる。しかしロープを短めにしたため、引っ張っても顔面まで手が届かない。よって、ごそごそと顔の方を手に近づけていかなければならない。はっきり言って情けない。

 結局、安眠もクソもないこの方法は早々に放棄した。

 

 その後、太陽光が顔に当たると自然と眠りが浅くなって快適に目覚められる、という話を聞き、タイマーで時間が来たら電気スタンドの光が顔を照らすようにしてみた(自室には直射日光が入らなかったので)こともあるが、結局効果は上がらなかった。

 色々やっても、結局決定打はなかった。

 

 さて、今はタイマー機能付きのラジオと目覚まし時計だけで毎朝起きている。

 あい変らずスパッと起きる、という訳にはいかないものの、時間をかければちゃんと起きられるようになり、寝坊することはなくなった。

 ラジオからの人の話し声が耳元ですると眠りが浅くなることを発見したのと、一度止めてもまた鳴るスヌース機能つきの目覚まし時計とがかなり効果を上げている。

 

 だが、起きられるようになった本当の理由はそんなことではないだろう。

 気楽だった学生の頃と異なり、社会人となった今、朝寝坊・遅刻などしたら、失うものは計り知れないほど大きい。何年もかかって築き上げた信用であっても、たった一回の不注意ですべて瓦解してしまう可能性だってある。
 そのことへの恐怖。プレッシャー。
 それこそが早起きさせる一番の強力な「目覚まし装置」となっているのである。

 そしてその「目覚まし装置」はあまりにも強力すぎるゆえ、年に数度の悪夢まで見させてしまう、という訳である。

 

  つれづれ随想録トップへ戻る  管理人室へ戻る  トップページへ戻る