窓の開閉をめぐる攻防
今年は暖冬だったので、11月の上旬でも半袖のポロシャツ一枚ですごしたこともあった。もっとも、その時に周囲を見回しても、それだけ薄着の人はあまりいなかったので、オレはけっこう寒さには強い方ではないかと思っている。ただ、昔から一貫して寒さに強かったかというと、そうではない。異様に寒い冬を過ごしていたことがある。
今から二十年以上前、まだ大学生だった頃のことである。当時色々とつらい事が多く、心が寒かった、ということもあるのかもしれないが、そんなキザな理由ではなく本当に現実的に物理的に圧倒的に寒くってたまらない日々を過ごしていたのである。
当時のゼミの先生のお宅が東京の東村山の方にあり、たびたび出かけていくことがあったのだが、その時が特に寒かった。自分が住んでいた23区に比べると確かに気温が低いのだが、冬場、少し駅から遠い先生のお宅までの行き帰りの道は本当に体中がガタガタ震え、「凍死するのでは?」と思えるほどであった。
当然冬は厚着した。着膨れしすぎるくらいにした。
まずランニングシャツ。次にTシャツ。その上に長袖Tシャツ。更にその上にシャツを着る。セーターを着る。カーディガンを羽織る。時にはセーターの二枚重ねなどという荒業も駆使した。その上に上着。それでも「寒い寒い」と大学への行き帰りには震えていた。
「なんでこんなに寒いのだろう、もしかして氷河期が近いのではないか?」とまでマジで考えていた程である。
当時、ダウンジャケットというのが流行っていた。裕福な学生は皆着ていたが、オレは貧乏なのでとても買えなかった。友人に頼んで袖を通させてもらうと、確かにすごく暖かい。「ああ、皆はこれを着ているから寒くないのだな」と思う。友人に返すと、着る前よりも心細くもっと寒くなったような気がした。
しかし考えてみると、小学生時代はひと冬をクラスでただ一人半ズボンで過ごしたこともある。そんなにも寒さには弱くなかったはずだったのに、これはどうしたことなのだろうか? こんな疑問を持ったのも、毎日テレビや新聞をチェックしても「氷河期が近い」とも「冬の平均気温が年々下がっている」ともどこにも出ていないからだ。
疑問は社会人になって解けた。
大学を卒業して最初に入った会社での仕事は外回りの営業職だった。当然スーツ姿なので下着を着膨れるわけにもいかないし、セーターを着るわけにもいかない。商品見本である教材を持って移動するので、コートは脱いだり着たりで邪魔になる。そういう訳で薄着のままで冬場の仕事をすることとなった。ところが……。
思ったより寒くない。何とか我慢できるではないか。新聞を見てもその年の冬が暖冬だとはどこにも書いてなかった。
ここに至ってマヌケな自分にもようやく理解できた。
要するに人間の体には「適応力」がある、ということだ。人体は寒さや暑さに耐えられるような性質をもともと備えているということである。そうでなければ現実に極寒や極暑の地域で暮らしている人々がいる訳がない。
ようするにオレは、本来だったら寒くなる時期に体が適応しようとしているのに、寒さを恐れて涼しくなるとすぐに厚着をしてしまうため、体が適応力を発揮することができなかったのである。暑い夏場でも、エアコンの設定温度を20度位まで下げると寒くなってくる。だが冬場ならば20度は暖かいと感じる温度だ。つまりオレは体を過保護にしたため、毎年「夏場の体モード」のまま冬に突入していたということである。いつも寒くて仕方がなかったのも当然と言える。
それが社会人になってスーツという夏は暑く冬は寒いという有り難くない服装(笑)で一年を過ごさなければならくなったため、体の適応力が今度はちゃんと機能したという訳だ。加えて重い教材見本を持ってあちこち歩いて営業仕事をしたため、体力が上がっていたこともプラスに作用したのだろう。
そのことを理解してからは、秋になってすこし寒くなり始めても、けっしてぬくぬくの温かい服装はしないで、むしろ少し肌寒いくらいの服装をするよう心がけるようになった。注意しないと風邪をひいてしまうので按配が難しいのだが、そうやって徐々に気温の低下に適応するようになってからは、あの「寒い冬」は二度と訪れることはなくなった。というよりも、自分は本来は暑がりな体質なのだ、ということを再認識するようにまでなった。
ところで、実は身近に少し寒くなるとすぐ厚着して、ひと冬中「寒い寒い」と言っている人物がいる。だれあろう我がニョーボである。この人は雪国新潟の生まれの癖に異常に寒がりなのである。よってすぐに厚着するので上記のようなことになるわけなのだが、こういうニョーボと、生まれ変わって寒さに強くなったダンナが一つ屋根の下で暮らすというのは大変なことなのだ。
春や秋の暖かい(と思う)頃に家に帰ってくると、たいてい家中の窓や戸が締め切ってある。
「ああ暑い暑い」と全部の窓と戸をオレが開ける。しかし少しすると「寒い」と言ってニョーボがそれらを閉める。
頃合をみて暑さに堪えられなくなったオレが「暑いからちょっとだけ開けるな」と言ってまた開ける。
しかし敵もすぐに「寒いから少しだけ閉めるね」といって閉める。この繰り返しである。
かくして我が家ではこのような時期には、窓を閉め切って厚着するニョーボと、殆ど下着同然で扇風機まで使用するオレとが同じテーブルについて食事をする、という摩訶不思議な光景となっている。