ドラえもんのミッシングリンク

 我が娘は『ドラえもん』が好きで、暇さえあれば漫画の単行本を何度も繰り返し繰り返し読んでいる。テレビのドラえもんを観ていても、単行本と同じ話が出てくると、本と比較して、同じところと異なっているところを正確に指摘する。好きこそものの何とやらで、たいしたものである。

 そんな訳で、それほど好きであるならばと、誕生日やクリスマスなどの機会があるごとに、彼女にドラえもんの単行本を少しずつ買い与えてやっている。

 

 できれば1巻から順に揃えていってやりたいところなのだが、ドラえもんの単行本は巻数が膨大なため、よほど大きい本屋でもない限り、1巻から順に全部揃っているということはまずなく、ところどころ抜けている巻があるのが普通である。よって、娘に買ってやる際にも、どうしても歯抜けのようにして飛び飛びの巻を買う羽目になってしまう。

 とりあえず、7巻を除く1巻から23巻までは揃っている。だが、それ以降がかなりの飛び飛び状態となっているため、書店で新しい巻を買い求める場合には必ず事前にメモをとっておく必要があった。

 

 ところで、「7巻を除く」と書いたが、7巻が家にないのは書店になかったからではない。書店にはあったのだけれども、意図的に買わなかったのだ。

 

 自分がこのドラえもんを初めて読んだのは小学生の時だった。当時小学館の学習雑誌である小学○年生(○の部分に一〜六の学年の数字が入る)をずっと取っていたのであるが、そこに連載されていたのである。

 ドラえもんはとても楽しみにして読んだ記憶があり、いくつかのストーリーは今でもちゃんと覚えていて、後に大人になってから単行本で確認してみたら、記憶がほとんど間違っていなかったことに自分でも驚いたくらいだ。おそらくは、今の我が娘と同様、何度も何度も繰り返して読んだのであろう。

 中でも、のび太が死んだ祖母にタイムマシンで会いに行く話と、ドラえもんが未来に帰ってしまう最終回の話は特に印象深く、子供心にももの悲しく切ない思いになり、涙が止まらなかったことを思い出す。

 小学○年生は1年間で一区切りする雑誌なので、どこかで締めくくりをつけなければならず、それゆえ最終回が書かれたのであろう。だから私の心の中ではドラえもんは確かに雑誌の上で一回未来に帰ってしまって終わっているのだ。

 しかし、人気のある作品だったので、その最終回以降も新しい話が作られることになったようである。

 必然的になんとか未来に帰ってしまう話とつじつまを合わせる必要があってか、その後にドラえもんが未来から戻ってくる話が作られた。

 すなわち、その雑誌連載での最終回が巻末に載っているのが6巻なのである。

 そして、再び未来から戻ってくる話が巻頭に載っているのが7巻なのである。

 

 だから、7巻は買わないのである。

 

 何も、自分が子供の時に時に読んだ最終回の感動を損ないたくないから、という訳ではない(いや、それも少しはあるかな)。

 基本的にドラえもんは完成度の高い面白い漫画なので、どんどん新しいストーリーが作られ続けることには何の異論もない(それがたとえ作者の死後であっても)。

 ただ、こう考えているのだ。

 すべてのドラえもんの話は、いずれはこの6巻の最終回の話に行き着くのだ、と。

(ひところ、「ドラえもんが最終回を迎える」なるまことしやかな噂が流れたが、それは「今までの話はすべて夢であって、目が覚めたのび太の傍らにドラえもんのぬいぐるみがあった」とかいう悪趣味で興ざめなものであった。)

 

 もともと、ドラえもんが未来から送り込まれてきたのは、どこか頼りないのび太を心配した孫のセワシ君が、未来のロボットにのび太の世話をさせようとしたからである。

 したがって、ドラえもんはのび太が心配な存在でなくなるよう、自分がずっと傍についていなくてもやっていけるよう、サポートしていくのが目的なのだ。

 つまりドラえもんの一番の願いとは、のび太の成長と自立なのだ。

 それがなされなければドラえもんの行為は報われることにならない。しかし一方で、それがなされた時はドラえもんがのび太から離れていかなければならない時でもあるのだ。

 そして、その運命の日はいつかはやってこなければならないのである。

 

 6巻の最終話、つまり雑誌連載時の最終回は、この、のび太の成長と自立の可能性を示したところで終わっている。

 ドラえもんの願い、それを叶えようとするのび太。そしてそれゆえに納得しての別れ。

 だからこそこの最終話は、時を越えて今でもなお涙を誘うのである。

 それだけに、それを「なかったこと」にする7巻の話はどうしても受け入れがたいものがあるのだ。

 ドラえもんがいくら続いてもいい。しかし、いつかは6巻末の最終話に行き着く。この運命の必然だけは受け入れなければならないと考えているのだ。

 すべてのものはいつかは終わりを迎える。だからこそ、それは尊い。

 それゆえ、娘には7巻は買い与えない。終わりなき永遠へとつながるミッシングリンクは、文字通り失われたままであってほしいのだ。

 

 だが……。

 娘に買い与えていた小学2年生の付録に、ドラえもんの『超名作集』なる小冊子が付いてきたのだが、なんとそれにあの例の7巻の未来から戻ってくる話が掲載されているではないか! ガクッ。

 もはや、これ以上こだわっても意味はなさそうである。結局いつかは7巻も買う羽目になるかもしれないなぁ……。

 

 まあ、親のつまらないこだわりというのは、いつの時代にも子供にとってはうっとうしく迷惑なだけの場合が多いんだけどね。

 

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