微笑する占い師

 友人と酒を飲んだ帰り、一人で駅に向かう道を歩いていたら、路上で手相占いをやっているのが目に入った。

 自慢じゃないが、生まれてこの方、金を払って占いをやってもらったことなぞ一度もない。

 年とともにそういうものにどんどん関心が薄れていって、最近では雑誌に出ている星占いすら見ないほどだ。

 要するに世の中、大きな不幸というのはあっても、大きな幸福がやってくることはまずない、ということがわかってしまったからであろう。不吉な相がでれば不愉快だし、幸運な相が出てもどうせ当たらないから不愉快になる、というわけである。

 

 その日も道端の手相占いなど気にもとめず、さっさと足早に通り過ぎようとした。が。

 なんとなく、その日はそこで歩をゆるめてしまったのだ。占い師がこちらの方、いや、はっきりとオレのことを見ていたからだ。

 オレはつい立ち止まってしまった。オレと目の合ったその女占い師は、静かに微笑んだ。

 

 ここ何年か、仕事上に行き詰まり、というか閉塞感をおぼえている。先の見通しがつかない、というところか。

 このまま今の仕事を続けていて年齢を重ねてゆき、何かの拍子でポイと放り出されても、まったくつぶしの聞かない状況を恐れていた。仕事の中身に対しても、楽しさを感じることが減って、苦しさを感じることが多くなっていく、という反比例状態だった。

 「このままで果たしていいのだろうか」というのは折に触れて感じる不安だった。

 

 酔っ払った頭が、突然「仕事運をここで占ってもらう」ということを思いついた。

 占い師と目があったのは単なる偶然ではなく、運命だったのでは? と思ったのである。しかもけっこう若くて美人の占い師だし(オイオイ)。

 とは言うものの、やはり占いごときに金をかけるのは惜しい、という気持ちもある。

 (出しても三千円まで。それ以上ならパスだな。)と頭の中で思いつつ、オレはその女占い師の方に歩み寄った。

 女占い師はにっこりと笑った。

 「すみません。いくらで占ってくださるんですか?」

 「三千円です。」

 おおおっ、ずばり三千円だぁ。やはり、やはりこれは運命なのか?

 

 「ではお願いします。」

 「まず、生年月日をおっしゃってクダサイ」

 占い師はしゃべる言葉に独特の訛りがあって、どうも日本人ではないらしい。そういえば、顔つきにどこかエキゾチックな雰囲気も感じられる。オレは自分の生年月日を告げた。すると女占い師、

 「奥サンの生年月日は?」

 ん? あのー、オレが占って欲しいのは仕事運であって、相性運ではないのだけれども……。

 しかし、言われるままに教える。そして、その後、どのようなことを占って欲しいかを、改めて彼女に説明した。

 「ソレでは両手を出してクダサイ。」

 両手を差し出すと、彼女は懐中電灯をつけてオレの手を照らした。道端にろうそくの明かりだけで営業しているので、手元はかなり暗い上に、懐中電灯そのものもあまり明るくない。こんなんでちゃんと手相が見えるのだろうか。

 彼女はしげしげとオレの手を見て、一度甲の側に裏返しするように指示し、またもう一度手の平の側に戻すように言った。

 そして一通り見終わると、彼女は静かに口を開いた。

 「アナタは今、誠実に仕事に打ち込んでイマス。けれども、ソレが思ったように報われないことに苦しんでイマス。」

 うーん、確かにそうかもしれん。しかし、仕事で悩んでいる人って、大概皆そうであるような気も……。

 「デモ、あなたの道は間違ってイマセン。そのまま進むのが良いと思われマス。」

 おお、そうなのか。やはり当面は今のままで行くのがいいのか。

 「今の仕事をそのまま続けるのが良いということですか?」

 「ソウデス。今のままでイイデス。」

 そうかそうか。そういう運命が見えるのならば、それに従うべきなのだろう。

 「デモ、将来、壁にぶつかりマス。」

 「えっ?」

 オレは驚いて、思わず聞き返した。

 「壁にぶつかるんですか!」

 「ソウデス。」

 オレは狼狽した。どんな壁にぶつかるというのだろう。いったいその時にどうすればいいというのだ!

 「あのー、壁にぶつかったら、どうしたらいいんでしょう。」

 オレは恐る恐る聞いた。

 「お払いをしてモライマス。」

 「はぁ?」

 オレは一瞬我が耳を疑った。今「お払い」って言わなかったか?

 「お払い……ですか?」

 「ソウデス。お払いデス。」

 「……」

 「今ココでしまショウカ?」

 彼女は微笑した。オレは急速に全身から力が抜けるのを感じた。なんだか彼女の顔に「追加料金」と大きく書いてあるような気がしてきたのだ。

 「いえ、けっこうです。」

 オレは丁重にお断りした。

 

 「どうも」と挨拶をした後、別れ際にちょっと気になったことを聞いてみた。

 「この通りは、けっこう占ってもらう人とかは、多いのですか?」

 そこは多くの人が急ぎ足で駅に向かう通りのため、目に付きにくいこの場所での商売は、どうも見てもあまり繁盛しているようには思えなかったのだ。

 彼女はちょっと困ったような表情を浮かべた後、

 「頑張リマス。」

 とだけ言った。

 うーん、占い師が「頑張リマス」というのも、なんというか……。

 

 これがオレの初めての手相占いの経験。そしてたぶん最初で最後になりそうな予感。

 

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