このHPでは何回か登場している、大学時代の友人である九州のK君が仕事で上京した。
彼は今回は春に異動を控えており、そうなると現在やっている高文連(高等学校文化連盟)文芸専門部事務局長の職務は退任になるとかで、仕事絡みでの上京は今回が最後だという。
そこで、平日だったのだが、急遽オレも仕事の時間割を変更して午後に休暇を取り、再会を果たすとともに、しばしの別れの杯を交わすこととした。
昼に上野で待ち合わせる。何故上野かというと、K君の趣味が美術館・博物館めぐりだからである。大学の時はそんな趣味なかったのに、社会人になってから急に目覚めたらしい。 この日もオレが来るまでの間、東京国立博物館で福沢諭吉展を見たとか。
上野の待ち合わせ場所と言えばやはりここ、という感じで西郷さんの前で。 |
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西郷さんの前で待ち合わせたのは、実はこのグリーンパークがあるからでもあった。
この中に入っている熊本料理の店「天國」で昼食を取ろうという算段なのである。 |
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店内は見ての通りえらい立派である。 それもそのはず、熊本に本店を持つこの店は、極上の馬肉を食わせる専門店で、夜はけっこうな値段なのである。
ただし、ランチならばそれほど値段も高くなく、しかも平日はご覧の通り比較的すいているので、気軽にゴージャスな気分(?)が味わえるという訳である。
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まずはビールで乾杯。
三十を過ぎてから、ほとんど昼酒というものを飲まなくなったのだが(二十代の頃はけっこう休日とかには飲んでいた)、こういう特別な時は話は別である。
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K君が大学卒業後、まだ東京にいた頃、秋葉原の「肉の万世」でやはり二人で昼食を取りながらビールを飲んだことがある。 そうしたら、近くの席にいた人達が、聞こえよがしに「学生が昼間っからビールなんて飲んでやがるよォ」と吐き捨てるような口調で言うのが耳に入ってきた。 しかし、当時は二人ともちゃんと社会人一年生として働いていたのである。ちゃんと働いた金で、貴重な休日にビールを飲んでいたのである。だから誰に批判される筋合いもなく、実に心外な思いであった。
「まったくあの時はなぁ……」「学生じゃないんだっての……」 昼ビールを飲むと、いつもこの時のことが話題になる。 |
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馬肉のステーキランチ。1,600円。 ランチは他にコロッケとカレーとがあるが、ここに来たからには馬を食わねば話にならないので、迷わずステーキランチを選ぶ。
馬刺しや桜鍋は食べたことがあるが、ステーキというのは初経験である。
味噌汁も豚汁ならぬ馬汁なのだ。
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馬肉のステーキ。量はあまり多くない。 味はクセがなくとても淡白。そのためか、濃い目のおろしダレがかかっている。 個人的な好みで言えば、もう少しレアに焼いて欲しいところであった。 |
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さて、昼食後は上野の国立科学博物館へ。 そこでやっている特別展「1970年大阪万博の軌跡」を見る。
大阪万博はオレ達が小学生だった頃に開催された。 館内の説明を見ると、当時の日本人の二人に一人が足を運んだとか。 K君はわざわざ九州から家族で大阪まで足を運んだ口である。 ただ、とにかくものすごい混雑で、人気の展示館はまったく見られなかったとのこと。 |
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一方、オレは万博には行かなかった(行けなかった)方の口である。家が貧乏だったからである。ただ、父が大阪万博に働きに行っており(当時、多くの会社が大阪万博需要で仕事を請け負っていた)、その土産話を聞くのが楽しみだった記憶がある。 こうして大人になって、当時あれほど見たかった、「人間洗濯機」やら「リニアモーターカーの模型」を目の当たりにすることが出来たのだが、残念ながらもう何の感慨もわかなかった。 |
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上野を離れ、地下鉄で九段へ。 母校の大学を見たいというK君の希望で、である。
大学は数年前に全面改築し、オレは仕事がらみで二度ほど足を運んだのであるが、K君はまだ一度も来たことがないので、一度見ておきたいとか。 |
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大学周辺の店は殆んど移り変わっていたにもかかわらず、この書道具専門店である「平安堂」がいまだに残っているのが感慨深かった。 ここだけ時が止まっているかのようである。 |
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大学の校舎。すっかり立派なビルとなって聳えている。
我々が通っていた当時は老朽化が進む5階建ての建物であったのだが、現在は13階建て。
当時を偲ばせるものは、今はもうどこにも残っていない。 |
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さて、いくら卒業生とはいえ、卒業してから既にはや24年。ただのノスタルジーで訪ねてみました、という理由だけの人間を、果たして施設見学させてくれるかどうかはなはだ怪しかった。なにしろ昨今は何かと物騒な世相だからね。そこで、「現在は高等学校の教員をやっています」と正式に身分を名乗って「学校関係者」である点を強調して受付にお願いした。 それでもなかなかすんなりとはいかず、教学部の方にまわされ、そこでもまた一から説明して、やっと納得してもらって見学許可をもらった。 |
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最上階からの眺め。 遠くに新宿の街が見える。 |
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K君がお世話になった先生は既に退職なさってしまっていたようで、学内で名前を見ることはできなかった。 だが、オレがお世話になった恩師・林武志先生は現在も在職中であった。
そこで、研究室まで足を運んでみたのだが、残念ながら不在の札がかかり、留守であった。
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林武志先生は、大学時代、文学の何たるかをオレに教えてくれた恩師である。 オレが結婚する時にも何とかこの偉大なる師より一言お言葉をいただきたいと思い、披露宴の出席とスピーチをお願いし、快諾してくださった。 ところが、当日、定刻を過ぎても林先生は現れなかった。 スピーチの順番が刻々と迫る中、林先生が座るはずの空席を見ては気が気ではなかったが、さんざんに気をもませた末に先生はやってきた。 林先生は、スピーチの中で、遅刻した弁明を簡潔に述べた後、「人生ってのは色んなことが起きるんだよ!」と締めくくった。……やはり我が師は偉大だった。
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さて、大学を離れた後、今度は門前仲町へ。 大学時代、K君は江東区のこの深川近辺に下宿していたのである。その当時、葛飾区に住んでいたオレはしばしば彼の下宿を訪ねている。
ただし、その懐古趣味から深川にやってきたのではなく、ここ門前仲町にはあの東海林さだお氏をして「飲んべえの桃源郷」と言わしめた名居酒屋「魚三酒場」があるからなのだ。 |
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「魚三」の名が入ったグラスでまずはビールを飲む。 オレがこんなにもビールばかりを飲むようになったのは、作家の椎名誠さんの影響が大きい訳だが、実はその椎名さんの本をオレに薦めたのが他ならぬK君なのである。
よって、K君との飲み始めは常にビールなのだ。 |
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たこブツ350円。鱈白子420円。 白子は新鮮で臭みはまったくなし。上に散らしたゆずのアクセントがいい。もみじおろしで食べるとトロッとして美味。
ところで、現在オレは「痛風」他各種病気を抱え、毎日数種類の薬を飲み続けている身である。 それに比べてK君は同い年であるにも関わらず、日常的に飲む薬は「漢方胃腸薬」や「アリナミンA」だけだなどと健康的なことを言う。 |
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そこで、オレは生ウニも注文し、白子とともに盛んにK君に勧める。「白子もウニもプリン体が豊富なのだ。それにプリン体の入ったビールを飲めば完璧だ」「君も痛風仲間になろう!」と呼びかけるのだが、K君は「僕は痛いのは嫌なんだ」と、あまり白子にもウニにも箸をつけようとしない。 友達甲斐のない男である。 |
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マグロ中落ち300円。 カンパチ480円。 とにかく海産物が安くて新鮮なのだ。 |
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生タコ刺身380円と、鯛のかぶと焼き400円。 左の方にあるのが「大徳利」。1,400円。
通常のコップ酒だと一杯180円だが、この大徳利だとその同じコップで12~13杯分は飲めるのでだんぜんお徳なのだ。 これを飲むとけっこう酔ってくる。 |
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酔った勢いで、マグロ中トロの刺身も頼んじゃう。 630円。しかし安いよなぁ。
ところで、誰かが注文したクサヤの匂いがしてきたのだが、酔ったK君は「ああ臭い臭い」を十回くらい連呼するのにはマイッタ。実はクサヤを食べていたのは我々のすぐ隣の客だったからである。落ち着かないことこの上ない。 |
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さて、魚三の最寄り駅である門前仲町は東西線で、K君のこの日の宿は隣の駅の茅場町。オレの家は同じ東西線の反対方向。よって、ここでお開きにするつもりだったのだが、なんとなく時間もまだ早いし、飲み足りない気もする。そこで、とりあえず茅場町に移動して、K君がホテルにチェックインした後、ホテルの近辺でもう少しだけ飲むことにする。 |
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ホテルの近くに「笑笑」と「チムニー」があった。 チムニーの方は、若いお姉さんが呼び込みをやっていた。 笑笑の方は特に何もやっていなかった。
我々は迷うことなくチムニーの方へ。 |
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ここでもまたビールで乾杯。 ジョッキを頼むとスクラッチカードがもらえ、当たるともう一杯ジョッキが無料になるとか。 ハズレカードでも5枚で一杯無料になるとのこと。 という訳でひたすらジョッキで飲み続けることとなった。
結局一枚も当たりは出なかったのだけどね。 |
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ホテルに向かって力強く歩く(?)K君。 この後、部屋まで送ったところ、「ホテル内のラウンジでもう一杯飲もう」と言い出す。
けれども、そろそろこれ以上飲むと翌日の仕事に差し支えそうな気がしてきたので、残念ながらその提案は丁重にお断りした。
そして、部屋の前で握手をして別れた。
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翌日、K君からメールが来た。それによると、チムニー以降は記憶が全くないとのこと。
もちろん、ラウンジでもう一杯飲むことを提案したことなど全く身に覚えがないというのである。
これがK君のいいとこなんだなぁ。スイッチが入ると、後はノン・ストップなのである。翌日はひどいことになるにも関わらず、おかまいなしに(何しろ本人記憶が飛んでるのだから)いつまでも飲み続けてしまうのである。
もし、オレに翌朝の仕事がなく、スイッチ・オンのK君につきあって更に飲み続けていたらどんなことになっていただろうか。
実際には無理だったのだが、想像してみるとなんだか楽しそうである。
さて、次は何年後に会えることやら……。